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 新潟医専教授の鑑定では、幸次郎の右胸の肋骨が折れていたが、外部からは分からない状態だった。要太郎は予審時に「胸部に一撃を与えた」と供述。それが犯人でなければ知り得ない事実とされた。

 ところが、後になって、要太郎が犯行を自供した前日、予審判事のもとに鑑定書が提出されていたことが分かったという。判事が知っていれば、自供を誘導したと考えられる。「そのことに気づいていたら、要太郎の命を取り留めることができたかもしれない」と海野弁護士は書いている。

「うそを言うことはない」と看守に諭され…

「不思議極る殺人事件」には、マサが釈放後、大場弁護士に語った興味深い話が載っている。

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 予審決定の少し前、マサは1人だけ呼び出されて係りの検事に調べられた。「2人の息子は、4人で殺害の相談をしたことを立派に白状している。おまえが覚えがないと言ったところで罪は免れないが、自白すれば罪は軽くなり、夫の魂も浮かばれる」と言われた。

「同じ罪になるなら軽い方がいい」という考えが浮かび、独房に戻ってからも思いが乱れた。寝つけない様子を見回りの女性看守が見とがめて「どうかしたのか」と尋ねた。

 マサが話をすると女性看守はこう言った。「それはおまえ、決してうそを言うことはない。実際のことを言えばよいではないか。たとえ刑罰が重かろうと軽かろうと、そういうことに迷ってうそを言うことはない。真実を言わなければならぬ」。

 マサは去って行く後ろ姿を伏し拝みながら「全くそうだ。たとえこの身がどうなっても、夫を殺したなどといううそを言うことはできない」と固く決心したという。

「マサが始めから終わりまで、少しも申し立てが変わらなかったことは東京控訴院でも認められて、立ち会った小林検事は、被告4名の申し立てのうち、マサの終始一貫している陳述は信用するに足ると論告して、ここに初めて共謀の疑いは晴れ、3人ともに無罪になったのである」。大場弁護士は同書にこう書いている。実際に控訴審の審理に影響を与えたことは間違いないだろう。

 要太郎は大審院(現在の最高裁判所)に上告したが、早くも同年7月棄却され、死刑が確定した。

「私は今、冤罪によりて刑に処せられんとします。しかし、神は必ずわが心の公明なることを知りたまうと信じます」

 当時再審制度はなく、大場弁護士は9月、当時の尾崎行雄・司法大臣宛てに特赦の請願書を出した。その中で、確定判決は要太郎の予審段階での自供に基づいて、犯行を遊興費目的としたことについて、「新潟の遊郭に要太郎が供述した店が実際にあるか、登楼を勧めた娼妓が実在するかなどが調べられていない」と主張している。