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ほとんど報じられなかった控訴審。その判決は…

 東京控訴院での控訴審もほとんど新聞報道はされていない。「不思議極る殺人事件」は、控訴審の担当弁護人の立場からこう書いている。

「控訴院では菰淵(清雄)裁判長の係りで小林(登志吉)検事が立ち会い、非常に丁寧な調べがあって(1916年)4月11日、結審した。小林検事の論告によると、祖母ミタ、妻マサ及び幸太の3名は証拠不十分なるをもって無罪を相当とし、要太郎のみ原審通り、死刑を請求している」

「横越事件三人無罪 要太郎のみ依然死刑」。同年4月28日付新潟新聞は2段見出しで前日の東京控訴院判決をこう報じた。

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 検察の主張を認めた内容で、「続史談裁判」は「今度は小林検事の論告をうのみにして、要太郎の自白を取り、遊興費をつくるために米を取り出そうとした父に発見され、その措置に窮し、殺害を決意したと認定」と評している。

控訴審は一転、3人が無罪に(新潟新聞)

 新潟新聞の記事は同紙のそれまでの報道と比べて極端に短い。「人非人親子」「極悪人親子」と書いてきた手前、どう評価するか迷ったのだろうか。

「有罪」の決め手になったのは…

 意外なのは、この段階で在京紙も小さい扱いだが、報道していることだ。「死刑は一人 三名は無罪」(報知)、「四名の死刑は三名無罪となる」=東京日日(東日、現毎日)、「三人死刑を免る」(読売)……。

 國民新聞の見出しにあるように「死刑が無罪に」という内容のためもあるが、裁判の舞台が東京に移り、大場弁護士という“大物”が弁護を担当してメディアに働きかけたこともあったのだろう。時事新報が「新潟の疑獄は死刑が無罪」と見出しをとるなど、冤罪説も出て事件が疑獄と見られていることが分かる。

 大場弁護士は「不思議極る殺人事件」で「控訴院において検事が4名の被告中3名まで無罪を論告するに至るがごとき疑獄事件を、第一審において軽々しく4名とも死刑を宣告せしごときは非常なる失態であると自分は信ずるのである」と一審での検察側と裁判官の姿勢を批判している。

海野普吉弁護士

 控訴審で補佐弁護人を務めた海野普吉弁護士(のち日本弁護士連合会会長)は戦後、「週刊朝日」1956年4月1日号に「一弁護士の四十年の悔恨」という回顧談を掲載。その中で、遺体の傷が要太郎有罪の決め手となったと述べている。