この年の1~3月にはこの2件以外にも、岩手、秋田、山形、富山、石川で雪崩などの雪害が発生。死傷者を出した。そんな中、2月14日付新聞各紙に“大事件”の記事が掲載された。最も詳しい東朝を見よう。

 一部落雪で全滅 飛騨山中の坂下村 薪炭食糧全く缼(欠)乏し村民三百名悉(ことごと)く餓死

 飛騨国吉城郡坂下村(現飛騨市)大字万波は、富山県婦負郡大長谷村(現富山市)の南端字切詰より2里(約8キロ)の深山の部落にて戸数62戸、人口300余名あり。右部落全滅し、男女老若ことごとく死亡したりとの報あり。右部落住民は炭焼きを業とせるが、昨年末の初雪に8尺(約2メートル40センチ)余も降り、全く冬ごもりの準備なすあたわず、薪炭及び食糧、飲料水全く欠乏し、全部餓死せるものにして、1月25、6日ごろの出来事なり。当時、生存者3名あり。万一の僥倖を頼み、万死を冒して婦負郡字細入村(現富山市)に達し、救助を求めしが、うち2名は途中にて餓死し、1名は助かりし由なるも、いまに所在明らかならず。ちなみに同地には目下なお積雪1丈7、8尺(約5メートル10センチ~5メートル40センチ)ないし2丈(約6メートル)ありと(富山特電)。

「万波部落全滅」を報じた東京朝日

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 記事には識者の談話が付いている。「雪の多い事世界一 十数年前に開墾した村」の見出しで、識者は「日本風景論」で知られる地理学者・志賀重昂。

 万波は富山市から飛騨の高山町(現高山市)に至る本街道約23里(約92キロ)の中央にある村から、さらに西へ3里(約12キロ)ばかり入った所の谷間にある。ここは越中と飛騨の国境で、いまから250年前、徳川氏のころ、越中の国のものか、また飛騨に属するものかという問題が起こって、12、3年間も争ったというぐらいの所で、結局飛騨のものとなったが、維新前までは容易に人が行けた所ではない。十数年前、ようやく谷間を開墾してやっと人が住むようになったのである。飛騨の中でも別天地と称せられ、日本の脊骨の山脈がある所で深い谷間であるから、雪は最も多い。一体この付近、加賀の白山の山続きから吉城郡にかけては、日本でも一番雪が深く、世界の中でも同緯度に位する所では、ここが最も雪の多い所として有名になっているくらいだから、いかに雪が激しいか想像し得らるる。ことに役場は3里を隔つる本街道にあるという不便な谷間であるから、このような悲惨事も起こったのであろう。