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 ただ、うわさの震源地の仁歩村には郵便局があり、ここが万波の郵便物を集配していたと思われる。とすれば、仁歩では万波に普段通り郵便配達が通っていることは容易に分かったはず。そう考えると、うわさは意図的にでっち上げて流された可能性も否定できない。

万波山麓からの風景(「飛騨・歴史と風土」より)

万波と虚報の“その後”

 万波のその後については、「角川日本地名大辞典21岐阜県」には「昭和10年には過疎により居住者不在となった」とあり、「白木峰・金剛堂山・楢峠・万波峠が囲む地の国境論争」は「最後まで残っていた数戸が昭和14(1939)年に離村して万波は無住となった」と書いている。

「日本歴史地名大系21岐阜県の地名」の「宮川村」は「村面積の98%が山林で、飛騨屈指の豪雪地帯でもあり、近代産業に対する立地条件も悪く、過疎化がはなはだしい」と書かれていた。近代化に取り残され、早々と“限界集落化”が進んだのだろう。ちなみに、2016年に公開されたアニメ映画「君の名は。」に登場するバス停が、旧宮川村落合にあるバス停(バス路線は廃止済み)がモデルとされ、いまやファンにとって「聖地」になっているという。それでも、「悲惨事が起きても不思議ではない」とは冷たすぎる言い方ではないだろうか。

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 それ以上に問題なのは、ニュースソース自体怪しかっただろう情報を、そのまま紙面に載せ「全滅」と報道した新聞がその後、訂正や謝罪の記事を全く載せていないことだ。

「異状なし」とした時事新報

 いまなら考えられないが、当時の新聞報道はその程度のものと、送り手も受け手も認識していたのか。その結果、1世紀以上たったいまも、一部の資料には事実だったように記述されている。岩波書店の「近代日本総合年表」も2001年刊行の最新第4版でさえ、人数は入れないまでも、東朝の記事を典拠に「1918年1月25日」の日付で「岐阜県吉城郡坂下村万波部落、1カ月の豪雪で孤立、餓死者多数」という記述のままになっている。

【参考文献】
▽「気象要覧」第218号 中央気象台  1918年
▽「湯沢町史通史編下巻」 2005年
▽春日俊吉「山岳遭難記第3」 朋文堂 1959年
▽高橋喜平「日本の雪崩 雪崩学へのみち」 講談社 1980年
▽「新潟県警察史」 1959年
▽「新潟県統計書大正7年」
▽「朝日村史下巻」 1985年
▽「創業100年史」 古河鉱業株式会社 1976年
▽「宮川村誌通史編下」 1981年
▽「富山県史通史編6近代下」 1984年 
▽「角川日本地名大辞典21岐阜県」 角川書店 1980年
▽「日本歴史地名大系21岐阜県の地名」 平凡社 1989年
▽「近代日本総合年表第4版」 岩波書店  2001年
▽「新潟県の100年 ふるさとの百年総集編5」 新潟日報事業社出版部 1986年