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 借金と保険契約の時期の後先など、はっきりしないところがあるが、事件を主導したのはミタだと認定している。記事はさらに続く。

 ミタは同月29日、自宅茶の間でマサ、要太郎、幸太にその旨を告げたうえ、同意を求め、さらに実行を迫った。ここに4人は幸次郎殺害を計画。翌30日早朝、要太郎、幸太の両名は自宅納屋に至り、父幸次郎が来るのを待った。午前5時ごろ、幸次郎が入ってくると、幸太はその場にあった杵で幸次郎の頭部、胸部、背部などを乱打。倒れるのを見て要太郎は、幸次郎が着けていた襟巻きで首をしばって即死させた。マサはその間、その場にいて応援し、血痕の始末をした。

 予審判事は幸太の自供を真実と認めた。これについて「不思議極る殺人事件」はこう書いている。

被害者は家族と常に衝突を繰り返していた?

 ミタ婆さんは、自分が夜の目も寝ずにつくり上げた身代であるのに、養子の幸次郎は酒を飲むばかりか、家には内緒の借金もある。そのうえその年の春、大同生命と300円の生命保険を契約したことなどがとかく気に入らず、常に衝突しておったらしい。しかし幸次郎はごく穏やかな男で、無論死んだ五郎太のように三人前も働くということはできないが、一人前優れて仕事もするし、酒を飲むには違いないが、モッキリ(盛り切り)のごく下等な酒をわずかに1合か2合飲むだけのことである。また、その財産を調べてみても、五郎太時代よりは、幸次郎の代になってからの方が、借財を引いてもなおかつ増えているという次第であった。

 これだと幸次郎には殺される理由は薄いことになる。

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「人非人親子法廷に立つ」

 新潟地裁での初公判は同年5月26日。報じた27日付新潟新聞は見出しから強烈。「極悪非道横越事件 人非人親子法廷に立つ 検事正嚴(厳)乎(げんこ=おごそかでいかめしい)極刑を求む」。本文もこうだ。

「この凶悪な被告母子らを見ようと押し寄せた傍聴者は非常に多く、中には朝の7時ごろより早く、裁判所横手に群衆し、既に門前には関係者十数名の者、ご苦労にも地上にうずくまっている者もあるありさま。定刻ごろには庁内の広庭に充満して喧騒を極めた。

 裁判所は既にそうなることを予期して120枚の傍聴券を与え、ようやく喧騒を制して傍聴券を得た者を入廷させ、間もなく『満員』の札を掲げた。そうとも知らないで時々刻々集まってきた者が次第に数を増し、百余名を数えるほど。廷内に入れず空しく帰る人もあれば、せめて廷内の模様を一目見ようと廷外のガラス窓の縁に上りつき、法廷をのぞき見るなど、近来にない大混雑を呈するに至った」

 公判は岡崎善太裁判長、検事は福田武規・検事正、弁護人は今成留之助だった。検事正の立ち合いは異例で、起訴理由はほぼ予審終結決定書通り。

初公判の報道も見出しから偏見に満ちた内容だった(新潟新聞)

法廷で覆された2つの自供

 これに対し幸太は、幸次郎を殺した覚えは全くないと犯行を否認。