いまから110年前、北海道北西部の僻地の開拓村で起きた羆(ひぐま)による事件は「熊害史上最大の惨事」といわれる。胎児と2年後に亡くなった子どもも含めると死者8人、重傷者は2人。現場の地名をとった「三毛別羆事件」としていまにその恐怖が伝わる。当時の人々が「魔獣」と呼んだ羆による惨事はどのように起き、どのように伝わったのか。

 当時の新聞記事は見出し以外、適宜現代文に直して文章を整理。現代では使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。また、事件では羆による「食害」があったこと、つまり羆が人間の体を食べたことが分かっているが、歴史上の事件とはいえ、人権に配慮して表現を変えている部分がある。(全3回の3回目/はじめから読む)

古い事件の陰にかすんだ

 事件を題材にした戸川幸夫と吉村昭の小説の題名がそれぞれ『羆風』『羆嵐(くまあらし)』だったように、この羆が射殺された当日にはすさまじい強風が吹いた。まだ駆除が報じられていない1915年12月16日、小樽新聞は社会面に大きく「風雪一過の後」の見出しで、14日朝の暴風のため、札幌―小樽間や宗谷線(現宗谷本線)、留萌線(現留萌本線)、名寄線(のち名寄本線、1989年廃止)などに被害が出たと伝えた。

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 北海タイムスは事件から2週間経った12月28日付で「苫前の大被害」として次のように報道。

北海タイムスに載った「羆嵐」のニュース

「14日午前10時よりの暴風は未曾有の猛烈を極め、電柱を折り、屋根を剥ぎ、家屋を倒し、木造倉庫を吹き飛ばし、路上の人を傷つけ、船舶漁具を流失または破壊し、巨浪は市街にまでほとばしり出て、電信線などは北方は18日までも不通。苫前尋常高等小学校などは50人の生徒が一晩学校に宿泊。力昼小学校は校舎が破壊されるなど、全般的に大きな被害を受け、その損害額は苫前、(隣村の)力昼で計5万円になるという」

『羆嵐』を書いた吉村昭 ©文藝春秋

 大正時代の貨幣価値は変動が激しく確定が難しいが、あるデータでは現在の価値で約7000万円になる。しかし、おそらくもっと多額で、いまなら億単位の被害だろう。三毛別地方の人々はこれを「熊(羆)嵐」と呼び伝えた。