同紙は12月21日付でも会の模様を載せ「昨日も300円(現在の約42万円)の白熊は寝具用として買われ、30~40円(同約4万2000円~約5万6000円)の熊の皮は冷え性の婦人用流産予防に買い入れられた」とした。

報知新聞主催の熊の皮展示即売会の記事

 羆も含め、熊は「捨てる所がない」と言われるほど各部位が利用できるといわれ、肉も高タンパク低脂肪で鉄分やコラーゲンが豊富。個体によっては美味だが、アイヌ民族は熊を神とあがめ、その肉は「神聖な肉」として珍重しており、それを食べることは霊的にも意味があるとされた。2本の記事からは熊がいかに珍重されていたかが分かる。それで皇室も関心を持ったのか……。

開拓民にとって熊は“自然の恵み”だった

 興味深いのは、「ヒグマ10号別冊」に書かれている、11月のサトウキビ被害を現認した際の太田三郎と明景安太郎の会話だ。2人とも被害を受けた家の当主だが、聞いていた村民の証言によると、さして驚く様子もなく「こんな大物なら、さぞかし味もよかろう」と言い合ったという。基本的に、開拓民にとって熊は“自然の恵み”だったということだ。あんな大惨事さえ起こさなければ、農作物などの被害はある程度甘受するという感覚なのだろう。

ADVERTISEMENT

 事件に関連する資料の多くは、この羆は、秋に飽食できずに冬眠しなかった「穴持たず」だったと書いている。丘珠事件のことを思い出してほしい。最初にかみ殺された男性は冬眠している羆を射殺しに行ったのだった。うまくいけば、肉は貴重なタンパク源になり、皮や「熊の胆」は臨時収入になる。それと対比しての「穴持たず」という名称なのだろう。

 開拓民を非難するには当たらない。それだけ開拓地の自然条件も経済状況も極めて過酷だった。その中では熊狩りはほとんど生きるために必要な手段だったのだろう。いずれにしろ、人間にとって熊は、肉がジビエ料理に使われるぐらいしか利用価値がない現在とは全く重みが異なる存在だった。北海道では当時、既に羆は札幌など石狩平野から追われて山間地に追いやられていたが、それでも人間との関係はいまよりはるかに濃密だった。いま、もし万が一、三毛別のような大惨事が起きたとしても、全く違った性格のものと受け止められるだろう。

【参考文献】
▽木村盛武『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』(文春文庫、2015年)
▽苫前町史編さん委員会編『苫前町史』(苫前町、1982年)
▽吉村昭『羆嵐』(新潮文庫、1982年)
▽門崎允昭『ヒグマ大全』(北海道新聞社、2020年)
▽中山茂大『神々の復讐 人喰いヒグマたちの北海道開拓史』(講談社、2022年)
▽北海道庁編さん『新撰北海道史第三巻』(清文堂出版、1990年)
▽三遊亭圓朝『椿説蝦夷訛』(博文館、1896年)

最初から記事を読む 「雪崩の惨死者発掘 死屍累々 生存わずかに…」史上ワースト級の雪崩事故が続発した“1918年の大豪雪”

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。