いまから110年前、北海道北西部の僻地の開拓村で起きた羆(ひぐま)による事件は「熊害史上最大の惨事」といわれる。胎児と2年後に亡くなった子どもも含めると死者8人、重傷者は2人。現場の地名をとった「三毛別羆事件」としていまにその恐怖が伝わる。当時の人々が「魔獣」と呼んだ羆による惨事はどのように起き、どのように伝わったのか。
当時の新聞記事は見出し以外、適宜現代文に直して文章を整理。現代では使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。また、事件では羆による「食害」があったこと、つまり羆が人間の体を食べたことが分かっているが、歴史上の事件とはいえ、人権に配慮して表現を変えている部分がある。(全3回の2回目/続きを読む)
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事件の発生、北海タイムスは12月21日付から「熊害大惨事の詳報」を4回、小樽新聞は24日付から「不安の六晝(昼)夜 苫前三毛別猛熊退治後聞」を3回、それぞれ連載。ようやく事件の全容が明るみに出た。「不安の六晝夜」は第1回の冒頭、「実に本道未曾有の熊害」とし、「当時この熊狩りに参加した本社駐在員は惨事前後の日記を報じてきた」と書いているが、本当に「本社駐在員」だったかどうか……。
一方の「熊害大惨事の詳報」は最終回末尾に「(羽幌警察)分署長より宮崎(北海道)警察部長への通告と、同地へ出張した木村警察医に、同村から札幌に来ている川村某の談を総合したもの」と記している。北海タイムスの「熊害大惨事の詳報」を基に木村盛武※の記録で修正・補足する。
※木村盛武=当時現場周辺を管轄する古丹別営林署の林務官で、独自に調査し、事件の生存者らにインタビューを重ねてまとめた人物。現在その記録は『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』で読める。



