日本列島の各地で熊に襲われる被害が相次いでいる。死傷者も出ており、イベントの中止や学校行事の変更など、近年にない深刻な影響が拡大。山の木の実の凶作など原因はさまざまに指摘されるが、被害者からは熊の恐怖が語られている。
熊の被害は熊害(ゆうがい)と呼ばれ、昔から各地で報告されていたが、中でもいまから110年前、北海道北西部の僻地の開拓村で起きた羆(ひぐま)による事件は「熊害史上最大の惨事」といわれる。胎児と2年後に亡くなった子どもも含めると死者8人、重傷者は2人。現場の地名をとった「三毛別羆事件」としていまにその恐怖が伝わる。当時の人々が「魔獣」と呼んだ羆による惨事はどのように起き、どのように伝わったのか。
当時の新聞記事は見出し以外、適宜現代文に直して文章を整理。現代では使われない差別語、不快用語が登場するほか、敬称は省略する。また、事件では羆による「食害」があったこと、つまり羆が人間の体を食べたことが分かっているが、歴史上の事件とはいえ、人権に配慮して表現を変えている部分がある。(全3回の1回目/続きを読む)
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竹藪に少年の遺体…被害は頻発していた
1915(大正4)年という年は、前年に発足して第一次世界大戦参戦に踏み切った第二次大隈重信内閣が中国に「21カ条要求」を出したことで知られる。旅順・大連(いずれも現大連市)の租借期限延長、山東省のドイツ利権の譲渡など、膨大な利権の要求で中国との対立は決定的に。一方、年号が大正になって3年。11月には大正天皇の即位の礼が京都で行われ、その後も大嘗祭=天皇が即位後、初めて行う新嘗祭(新穀を神に供えて国家安泰・五穀豊穣を祈る神道儀式)=などがあり、祝賀ムードが続いていた。北海道でも札幌で提灯行列が行われる中、熊の出没と人間の被害が頻発していた。
「少年を咬殺(こうさつ=かみ殺す)した熊を退治す 青年會(会)員と舊(旧)土人の手柄」
地元紙・小樽新聞(北海道新聞の前身の1つ)の同年11月24日付にはこんな記事が。「旧土人」とはいまでは完全な差別語だが、当時は先住民族の意味でアイヌ民族を指した。浜益(はまます)郡浜益村(現石狩市)で13歳の少年が兄と馬で薪を運搬中、突然現れた巨熊(おおぐま)が少年に飛びかかってかみ殺したうえ、遺体を担いで山中に入った。警察官と村民、青年会員、アイヌら約60人が捜索。竹藪で「食べ残し」の少年の遺体を発見した。



