名古屋から“一番近い島”として知られる、愛知県・日間賀島(ひまかじま)。この周辺の海域で、12年のあいだに8件のサメによる襲撃があり、襲われた全員が死亡しているという。この知られざる「人食いザメ事件」はなぜ起きたのか? “漁師の島”に今も暮らし続ける、被害者の親族に話を聞いた。(全4回の2回目/#3に続く)
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まさか被害者の親族につながるとは…
「私の親類に“叔父さんがサメに襲われて死んだ”という人がいて、その人を紹介することならできるんですが、どうしましょうか?」
日間賀島観光協会のIさんは、ライターである私からの問い合わせを受けて、知人や親類に片端から聞き込みをしたという。その中で、漁師をしているご主人の母の姉にあたる方が、まさにサメに襲われた被害者の親族だったというわけだ。そのことはIさん自身、今回初めて知ったという。
まさか被害者の親族につながるとは……。思わず「本当ですか!」と前のめりになった。
「そうだね。わしの父親の弟だね」
このような経緯があり、2025年1月下旬、私は日間賀島へ向かったのである。
日間賀島東港に向かう船中では、民俗学者の瀬川清子が昭和13年(1938)にこの島へ現地調査に訪れたときの記録を読み返していた。
〈小さな発動機船がゴトゴトと動き出した。豚箱を思わせる、あの船艙の匂いの中に、放心したように座っていると、乗り合った日間賀島行きの男女が、互いにあいさつをはじめた。(中略)鱶(※編集部注:フカ/サメ類の特に大きいもの)に片腕を食われた男の話がもっぱらで、今日も島人が総動員で、その鱶を捜索しているという。鱶を討ちとらないうちは海水浴もできないのである。〉(瀬川清子著『日間賀島・見島民俗誌』)
瀬川が船中で「鱶に片腕を食われた男」の話を聞いてから87年後、私はようやく日間賀島に降り立った。
Iさんの案内で日間賀島の海水浴場からほど近い一軒家を訪ねた。
「そんな遠くからわざわざこんなお婆さんの話を……まぁ、楽にしておくんな」
今年75歳になるというこすゑさんは、そう言って自宅の居間に私を招き入れてくれた。
いきなり「サメの話を聞きたい」と訪ねてきたライターを不審がることもなく、「わしが生まれるずっと前のことだで……わからんがね」と言いながらも、取材に応じてくれた。
「ここらへんはみんな“くぐりさ(潜水漁)”で、タイラゲ(平貝)とかテングサ(天草)とかいろんなものを獲って、それで生活しとったみたいで」
――お父様も漁師だったんですか?
「そいだよ。小せぇ船をこしやって(造って)、やうち(みんな)でおき(漁)に出とっただけどね。そんなに(沖の方へは)出ない。島の近いところでやってた」
――サメの被害に遭われたのは、叔父さんにあたる方と聞きました。
「そうだね。わしの父親の弟だね。会ったことはないけどね」