1947年1月15日の朝、ロサンゼルス、ライマート公園のそばを娘を連れて散歩していた母親が、青ざめた白い物体を発見した。マネキン? 母親は最初そう思った。その物体は両腕を頭上に上げたマネキンのようなポーズをとっていたからだ。

 しかし、よく見ると、それは全裸の女性の遺体だった。遺体は腰のあたりで真っ二つに切断され、顔は唇の両端から耳まで裂け、“グラスゴー・スマイル”と呼ばれる微笑みを浮かべていた。女性の名前はエリザベス・ショート、22歳。ハリウッド女優になろうとロサンゼルスに移住し、半年ほどが経過していた。

ハリウッド史上最もサディスティックな未解決事件

 この猟奇的な殺害事件は全米を震撼させ、ショートはメディアから“ブラック・ダリア”と呼ばれるようになる。事件の前年の1946年、アメリカでは、作家レイモンド・チャンドラー脚本の犯罪映画「ブルー・ダリア」が公開され話題となったが、ショートは薄手の黒い服を好んでまとっていたからだ。

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“ハリウッド史上最もサディスティックな未解決事件”と呼ばれている「ブラック・ダリア殺害事件」から77年。ブラック・ダリアに関する著書は多数出版され、事件は映画化もされて、人々の関心を集めてきた。しかし、犯人は今も見つかっていない。

©GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

 FBIは公式ウェブサイトで「1947年にロサンゼルスで起きた、ハリウッド女優を目指していた22歳の殺人事件は未解決だ」というタイトルで事件を紹介しているものの、「誰が、なぜ、ブラック・ダリアを殺したのか? ミステリーだ。犯人は見つかっておらず、どれほどの時間が流れても、おそらく見つからないだろう。伝説は深まり行く…」と事件解決に期待を見出していない。

 ショートはどのような人生を辿って、“ブラック・ダリア”になってしまったのか?

ショートがハリウッドに辿り着くまでの悲劇的な出来事

 ショートは1924年7月29日、アメリカ東部マサチューセッツ州で生まれた。映画好きなショートは当時人気があった10代の女優ディアナ・ダービンによく似ていると言われ、自身も女優になることを夢見るようになる。しかし、ハリウッドに辿り着くまでの道のりは平坦ではなかった。6歳の時、父親が家庭から姿を消す。その後、カリフォルニア州に父親が住んでいることがわかり、ショートは一緒に暮らそうと同州に移住するも、父親との生活は上手く行かなかった。

 そこでは、クック基地の空軍軍曹と関係を持つようになるが、その軍曹からは虐待を受ける。1943年には未成年飲酒で逮捕される。その後、フロリダ州に移住したショートは少佐を務めていたゴードン・ジュニアと付き合い、プロポーズされるも、ゴードン・ジュニアは第二次世界大戦中の1945年8月、飛行機事故で他界した。