〈“戦後史最大のミステリー”として、いまなお多くの謎につつまれる占領期最大の未解決事件「下山事件」〉。今年3月に「NHKスペシャル」で取り上げられ、あらためて話題を呼んだ。「あの事件をやったのはね、もしかしたら、兄さんかもしれない」。祖父についての親族の証言を契機に「下山事件」に新しい光を当てた作家・柴田哲孝氏の著書『下山事件 最後の証言 完全版』(祥伝社文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/後編に続く)
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戦後史最大の謎「下山事件」
21世紀は、かつて遥か遠い未来だった。
だが、いつの間にか我々は、その時代を現実として歩み始めている。
気が付けば平成という年号も日常の隅々にまで浸透して久しい。同時に「激動の昭和」と呼ばれた時代は次第に過去へと押し流され、少しずつ人々の記憶から忘れ去られようとしている。
だが、けっして風化させてはならないものもある。
戦後の動乱が明けやらぬ昭和24年(1949)7月5日。GHQ(連合国軍総司令部)占領下にあった日本で、ひとつの“事件”が起きた。その朝、通常どおり大田区上池上(かみいけがみ)の自邸を出た初代国鉄総裁下山定則(しもやま・さだのり)は、なぜか丸の内の国鉄本庁へは向かわず大西政雄運転手に日本橋の三越本店に行くよう命じた。その後、神田駅を回り、千代田銀行(三菱銀行)本店に立ち寄った後、再度三越本店へと向かう。そして午前9時37分頃、三越南口で車を降りて店内に入っていき、大西運転手を待たせたまま消息を絶った。
次に下山総裁が“発見”されたのは翌7月6日未明。場所は足立区五反野(ごたんの)、国鉄常磐(じょうばん)線の北千住駅と綾瀬(あやせ)駅の中間地点だった。午前0時24分に北千住駅を発車した最終下り電車の運転士が、東武線が交差するガード下の線路上に人間の死体らしき肉塊が散乱しているのを目撃。後にこれが、前日に失踪した下山総裁の轢死体(れきしたい)であることが確認された。いわゆる『下山事件』である。