父との不和や恋人からの虐待、愛する人の喪失などの悲劇的な出来事を経たショートは、人生をやり直そうと、憧れのハリウッドで女優になるべく、ロサンゼルスに移住する。1946年7月のことだった。しかし、そこで待っていたのは筆舌に尽くし難い惨殺だった。
遺体の検死から分かった残忍な事実
検死の結果、発見現場で親娘が目撃したことをはるかに超える残忍な事実が判明したのだ。ショートの遺体は血が一滴も残らないように洗浄されていた。性器は切断され、肛門はアナルセックスを強要されたかのように広がっていた。削ぎ取られた肉や陰毛は、膣と直腸に押し込まれていた。右胸は切り落とされ、子宮は摘出されていた。
胃からは殺害前に犯人に食べさせられたと思われる便が見つかったとも報じられた。腰部は素人技とは思えないほど、骨を折らずに体を半分に切断できる唯一の位置で正確に切断されていた。そのため、犯人は外科医か医者か医療訓練を受けた人物と目され、南カリフォルニア大学メディカルスクールの学生全員の身元調査も実施されたほどだったという。遺体のそばで血痕が見つからなかったことから、ショートは別の場所で殺害されて遺棄されたと見られた。
メディアは報道合戦に乗り出す。ショートのロサンゼルスでの私生活に注目し、ショートはハリウッド女優を目指していた女性というよりも売春婦だったとか、実はレズビアンだった可能性もあるなどの憶測が流れた。
捜査の過程では数多くの容疑者が浮上した。警察がまず目をつけたのが、ショートと不倫関係にあったロバート・“レッド”・マンレー。マンレーは1月9日、ショートをビルトモア・ホテルまで送った、彼女に最後に会った人物だったからだ。ショートはこの日を最後に姿を消したことから、犯人に誘拐されたと考えられているのだが、マンレーのアリバイは成立し、潔白が証明された。
1月下旬には、切り抜き文字で「天国はここにある」と書かれた封筒がロサンゼルス・エグザミナー紙に届く。その中には、ショートの出生証明書や社会保障カード、写真に加え、表紙に「マーク・ハンセン」と書かれたアドレス帳が入っていた。