――この島は昔からサメが多かったんですか。

「(人を襲うような)どでけぇ(大きい)のはおらんよ。小せぇのなら網に入ることもあるけども」

 夫が現役の漁師である観光協会のIさんは「(夫も)大きいサメは見ないそうです。小さいサメが横にいることはあるそうですけど。でも私が小学生くらいのときもお盆の時期は海で泳ぐな、ということは言われてましたね。ボンザメ(盆鮫)が出るから、って」と語る。

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「ボンザメって言ってたね」と頷いたこすゑさんは、掌をひっくり返す仕草をしながらこう言った。

「海の中でサメに会ったとき、サメがこうやってひっくらかえったら噛まれるというのは、よく聞いてた。サメの口は下(顎)の方にあるから。噛むときは、ひっくらかえるということはよく聞かされたね」

 サメが人間を襲うときは“ひっくらかえる”――漁師の島ならではの生々しい表現が妙に印象に残った。

こんな場所にサメが出たのか

国民小学校入学時の久芳さん(こすゑさん提供)

 こすゑさんの家を辞した後で、一人、日間賀島を歩く。今では海水浴場になっている場所から、そう遠くないところに、久芳さんの事故現場が見える。当然のことだが、こんな場所にサメが出たこと自体、今となっては信じられない。

 この取材時は久芳さんの事故が、日間賀島で連続した襲撃のどの事故であったかまでは特定するに至らなかったのだが、後日、観光協会のIさんから「こすゑさんがお仏壇から見つけたものがあったそうなので添付します」とメールが送られてきた。

 そこにはこう書かれていた。

〈性海覚了信士 昭和二十二年五月二十日 久野〇〇(久芳さんの父の名)二男 久野久芳〉

島の至るところに、漁のため直接海にアクセスできる階段がある

 ついに事故のあった日時が特定できた。昭和22年は1947年であるから、前出の矢野の記録とも一致する。久芳さんの生年は不明だが、19歳まで存命であったことはまわしをつけた写真の裏書で確認できる。久芳さんの兄(こすゑさんの父)の生年は1926年だというから、1927年生まれであれば事故のあった1947年には20歳、1928年生まれであれば19歳ということになる。いずれにしろ、あの写真を撮影して間もなく命を落としたのだ。その事実にまた粛然とした気分になる。

日間賀島とその周辺の海域で起きたサメによる事故。1947年に潜水漁で男性が亡くなったという記録が残っていた

 Iさんによると今や日間賀島の漁業関係者でも、過去に凄惨なサメによる被害があったことは、よほど年配の方でなければ、知られていないという。Iさんが話を聞いてくれた80代の元漁師は、「小学生の頃にそんな事故があったけど、“子どもがそんなこと聞いてくるな”と叱られたから詳しくは知らないなぁ」と語っていたという。

1965年頃のサメ漁の様子(日間賀島観光協会提供)。今はまったく姿を消してしまったが日間賀島のサメ漁の歴史は古く、暴れ狂うサメを船の近くまで引き寄せて獲る漁法だったという

 1950年を最後に日間賀島ではサメによる襲撃は起きていない。事故の記憶が風化していく中で、現地取材によって被害者の名前とその亡くなった正確な日付が判明した意味は小さくない。

 さらに調べるうちに、日間賀島とその周辺の海域で起きた「別の襲撃事件」のこともわかってきた。

(文中一部敬称略)

【参考文献】
「サメの攻撃による人的被害と被害による社会現象」矢野和成(「海洋と生物 142」2002年所収)

最初から記事を読む 「全員が死亡」「叔父さんがサメに襲われて死んだ」愛知県の“小さな島”で起きた、凄惨な“人食いザメ事件”の深いナゾ

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。