農家に巨熊が乱入し、男児を噛み殺した
「ヒグマ10号別冊」によると、北海道庁に事件第一報の電報が入ったのは12月12日。2回の被害をまとめての報告だった。北海タイムス、小樽新聞とも初報が12日に苫前から電報で発信されたように書いているが、実際は本社や取材拠点があった札幌から発信されたと考えるのが自然だ。翌12月14日付で北海タイムスは「熊害公報 苫前の大惨事」の見出しでやや詳しく報じた。
昨日紙面欄外記載のように9日午後7時ごろ、天塩国苫前郡苫前御料地サンケベツの農家に巨熊が乱入し、太田幹雄(9)をかみ殺したうえ、その母マヨが行方不明に。たぶん猛獣がくわえ去ったのだろうという電報が道庁に達した。
引き続き12日、またも巨熊が民家を襲い、5人を殺して5人を負傷させたという公式の連絡があった。同庁保安課からは直ちに羽幌警察分署に向け、地方青年会の主だった者と旧土人に捕獲駆除させて民心を安定させるよう打電。同分署は署員と村民を督励して熊退治に大活動をしているという。
「太田幹雄(9)」は「蓮見幹雄(6)」、「マヨ」は「マユ」の誤り。発生日は訂正されているが、これも道庁の動きを書いているだけ。札幌での取材であることは間違いない。当時の国鉄路線は、羽幌線(1927年開業、1987年廃止)はまだ通っておらず、1910年に留萌本線が留萌まで開業していた。それでも、札幌などの取材拠点からは移動手段も限られ、たどり着くのは相当の苦難だっただろう。それで北海タイムスは穴埋めのつもりだろうか、15日付から4回続きで「熊物語り 過去十一年間熊に喰ひ殺された人」を連載。「熊という言はある意味において既に北海道を代表する言葉である」の書き出しで、明治末期から熊による悲惨な被害が続いてきたことを年ごとに列記した。
その間の16日付には「大熊と死傷十二名 熊は未だに捕獲されず人心頗(すこぶ)る恟々(きょうきょう=恐れおののく)の有様」を掲載。「いまだに詳しい情報はないことから巨熊の捕獲はできていないようだ」として経緯を記した。一方小樽新聞は同じ16日付で「古丹別の青年大擧(挙)して熊狩」の見出し。2度にわたる被害で全村の青年たちが大挙して熊退治をしようと隊を組み、手に手に猟銃や長刀を持って出発したことを伝えた。どういうわけか、この日の2紙は現場を「古丹別村」と誤記。報道の混乱は続いていた。




