大隈首相は外相当時の1889(明治22)年、右翼の爆弾テロで右脚を失っていた。それをこんなふうに表現するのは品がないが、問題は「酸鼻を極めている」と言いながら、「熊公」と呼ぶなど、全体的に見て、犠牲者や被害者に心から同情しているとは思えない点だ。コラム筆者も「僻遠の一寒村」と思っていたのではないか。
この三毛別羆事件は戸川幸夫、吉村昭両氏の小説が出た後、脚光を浴びるようになり、熊狩り本部が置かれた家の息子が自費で「熊害慰霊碑」を建立。事件を題材に郷土芸能として「苫前くま獅子舞」が創作され、町の有形文化財に。羆が射殺された現場の橋は「射止(うちどめ)橋」と名づけられるなど、町は事件を観光資源にしようとしている。
人間と熊との“経済的な結びつき”
三毛別羆事件の資料を読んでいて、どこか割り切れないものがあった。確かに残虐で悲惨な事件だが、抜け落ちている視点があると感じた。それは人間と熊との距離というか、経済的な結びつきだ。
木村盛武の記録には、問題の羆の部位の行方について記述がある。皮は遺族救済のために創作された芝居の上演の際に使われた。肉は解体現場で大鍋や石油缶で煮て食べた。ためらう人もいたが、「被害者の供養」「魔獣への報復」だとして口にした。固くてまずかったという。薬として珍重された「熊の胆(い)」(胆嚢)は羆を仕留めた山本兵吉のものになったとも、幹部やマタギが分け合ったともいわれるが、はっきりしない。
関連して同年12月29日付小樽新聞には「決死隊に十圓(円)」の記事が見える。三毛別熊害事件で部落一同から決死隊の銃手7人に謝礼10円を贈呈。銃手たちは熊(時価50円)を被害者に香典として贈ったという。あるデータではそれぞれ現在の約1万4000円と約7万円に相当する。これについて『慟哭の谷』は、高額なことから皮と熊の胆の込み価格ではないかとしている。
「宮内省より本道産の羆の肉をお買い上げに」
事件発生前、11月26日付小樽新聞は社会面最下段の雑報の中で「羆の肉御買上」という短い記事を載せている。
「今回宮内省(当時)より本道産の羆の肉をお買い上げになることとなり、道庁へ対し、調進を命じ来たれるをもって、各支庁に宛てて羆を調査中だとの説がある」
報知新聞12月19日付には「第二回の熊の皮陳列」が見出しの同紙主催の催しの案内記事が。
「本日より好評の熊の皮の陳列即売会を再開する。防寒保温の寝具はこれに勝るものなしと各家庭から称揚されている。『熊の皮なら火事の危険がなく、年寄りも安心して寝かされます』……。カムチャッカの極寒をしのぐ熊の皮を来観してほしい」



