「顔バレ」は強烈なストレスの種になる
面白いのは、「覆面シンガー」たちの顔の流出画像を掲示したサイトがやたらと多いこと(「顔バレ」という)。もちろん、そのほとんどはデマだと思うのだが、重要なのは、「隠されると見たくなる」という心理が、彼女らの話題性獲得に、大きく影響しているだろうということだ(なお、Adoについては、22年4月のライブで顔出しをしたと報道があったことを付記しておく)。
次に「顔出しするといろいろ面倒」という消極的理由も、もちろん考えられよう。日本はツイッターの匿名率が高いと聞くが、アカウントを匿名にしていても、妙な言いがかりにげんなりしたことがある読者も多いはず。そんな日本において、「顔バレシンガー」として、街角で指をさされ、サインをねだられ、場合によっては白い目で見られ……というのは、強烈なストレスの種になるだろう。
ちなみにAdoはサイト「Real Sound」のインタビュー(21年10月19日)において「私の歌がバンバン流れてる薬局とかで、『すいません、これください』って普通に生活用品買ってる」と答えているので、「覆面」の効果は絶大のようだ。
3つ目の理由として、そもそもがネット発、つまり匿名メディア発のシンガー/ユニットだということ。多少の違いはあれど、彼女らは、アマチュア時代、顔出しをせずにネットに上げた作品が話題を呼び、その流れで、メジャーレーベルと契約しブレイクというルートを辿っている。
逆に言えば、顔出しが前提の、リアルな場としてのオーディションやライブを経由しない、言わば「純粋覆面性」を、音楽活動の端緒から保ち続けていることになる。
「リアルよりリアリティ」は、ハイロウズの『十四才』(01年)という曲の歌詞だが、「リアル」を一切経由せず、言わば「リアリティ」だけで勝ち残ってきたのだから、そもそもが顔出しをする必然性など、どこにもないだろうという気分でいるはずだ。