アメリカで起こった#MeTooに続いて、フランスでも#BalanceTonPorc(お前の豚を告発しろ)というセクハラ告発キャンペーンが広がった。大臣を歴任した社会党の大物政治家や、極右政党FNの党首側近(同性愛者で男性からの告発)など有名人の名前も挙がっている。
そんな中、1月10日付の「ル・モンド」紙にこの運動を「逆告発」する意見書が掲載された。5名の女流作家・文化人が起草したものに約100名が賛同署名する形で出されたもので、カトリーヌ・ドヌーヴが名を連ねたことにより一躍国際的大ニュースになった。
ところが、それから1週間もたたないうちに、ドヌーヴは「謝罪文」を出した。正確には相次ぐ批判に対して自分の立場を明確にしたもので、その最後に、「私は、この『ル・モンド』の意見書で攻撃されたと感じたすべてのおぞましい行為の犠牲者に友愛をもって敬意を表し、彼女たちに、そして彼女たちだけに謝罪する」と記したのだ。
この「謝罪文」を含む記事が書かれた経緯について、掲載した「リベラシオン」紙は、記者が電話でインタビューしたところ、書簡を送ってきた、と説明している。まさにドヌーヴは、記者に委ねるのではなく、自分の言葉で語ろうとしたのである。
「このハッシュタグは、密告への招待ではないのか?」
いったい、ドヌーヴはセクハラ告発キャンペーンの何に怒ったのだろうか?
「謝罪文」を読むと2つのテーマが浮かび上がる。
まず、「密告」と「私刑(リンチ)」である。
「私は誰もが裁き断罪する権利があると思っている現代の風潮が嫌なのだ。ソーシャルメディアでの単純な告げ口が懲罰、免職、そしてメディアのリンチを生むこの時代。(中略)猟犬の群れが追い回すようなことが横行するのが嫌だ。(中略)このハッシュタグは、密告への招待ではないのか? 情報操作や汚い手がないと誰が言えるのか? 無実の者の自殺は起きないのか?」
ドヌーヴは、今になって突然発言し始めたわけではなく、アメリカで#MeTooキャンペーンが起こった昨年10月末のラジオ番組で「確認できないままに名前を告げ口し、しかも反論できない」とソーシャルメディアの行き過ぎを憂いている。