その昔、テンカツ野球団というプロ野球チームがあった。漢字で「天勝」と書くのだが、現在のプロ野球ができるそれ以前の大正時代、女流奇術師が一座の興行と並行して野球の試合をしていたらしい。一座は、日本だけでなく台湾や満州(現在の中国東北部)まで旅し、現地の野球チームをコテンパンにやっつけ、奇術で人々の眼をむいた。むろん、選手はマジックをするわけでなく、会場設営などの作業員としてかり出された。

 ウィンターリーグの話をするのに、なぜこんな話題を持ち出したかというと、ラテンアメリカの野球には旅一座の興行を思い起こさせるようなプロ野球の原初的風景がいまだ残っているからだ。

 かつては、ふらっと球場に行けば、選手が普段見かけぬ東洋人を試合前のフィールドに招き寄せるなんてことは日常茶飯事、気がつけばチームに帯同している選手の見習いみたいな少年とキャッチボールをしていたなんてこともあった。田舎町の球場で試合が日付をまたぎ帰りの足がなくなったので、監督にお願いすると、チームのバスに快く乗せてくれたこともあった。

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時代の流れとともに洗練されたラテン野球

 今回、10年ぶりにウィンターリーグを訪ねた。ラテンアメリカのプロ野球も時代の流れとともに洗練され、今やウィンターリーグ最強となったメキシカンパシフィックリーグの風景は、まさにプロ野球そのものである。球場は、アメリカ3Aのボールパークにひけをとらない、大型ビジョンを備えた立派なものになった。その一方、球場前に並んでいたローカルフードの屋台はスタンド内のフードコートにとってかわられ、露店で売られていたバッタもんのキャップやシャツも駆逐され、球場内のショップにアメリカ資本による高価な公認キャップやジャージが並ぶようになった。

 なによりも、当日ふらっと行けば簡単に出た取材許可も、事前の申請をきちんとせねば出なくなったし、入っていい場所、いけない場所の区別もはっきりするようになった。昔は、試合前には選手がロッカールームに招いてくれたり、試合中、地元記者とともにベンチ奥の倉庫みたいなスペースに隠れて、きついリキュールで酒盛りをしたりと何でもありだったが、さすがに最近はそうもいかないようになった。それは、ラテン野球も年々プロ野球らしくなっているということで肯定的にとらえるべきなのだが、今やMLB、NPB、KBOに次ぐ世界第4の観客数を動員し、周辺諸国にもテレビ中継されるようになったこのリーグの風景になにか物足りなさを感じてしまった。

 メキシコ野球は奥深い。季節を問わず、大小さまざまなリーグが広い国土のどこかで行われている。メキシコのプロ野球選手はこれらのリーグを転戦しながら生活の糧を得ているのだ。

 大西洋岸に展開されるベラクルスリーグもメキシコに数ある田舎リーグのひとつだ。メキシカンパシフィックリーグとの契約を結べなかった選手のほか、メキシカンリーグを目指す若い選手、あるいはメキシカンリーグやアメリカのマイナーリーグをお払い箱になって、夏はもう市井人として働いている者が集まった、いわゆる独立リーグだ。一応プロを名乗り、シーズン中は基本野球専業、キューバなどからの助っ人も雇い、指導者にも元メジャーリーガーがいる。

試合中の風景

 このリーグに取材を申し込んだところ、その窓口となってくれたのは、リーグの中心的球団、ハラパ・チレロスの選手だった。このリーグでは、各球団とも地元企業の社長が私財をなげうって家族経営で球団をやりくりしている。チレロスでも運送業でひと財産を築いたオーナーが、元マイナーリーガーのビジネスマン一族にマネジメントを任せていた。

 試合日程も直前にならないとわからない中、指示された田舎町まで夜行バスで向かい、一行が滞在しているホテルに足を運ぶと、そのまま郊外の球場に向かうことになった。