アイドルを経験した人が、年齢を重ね、新たな花を咲かせる。その姿は、本当に眩しい。アイドルという仕事は傍から見ても過酷だ。飲み込まれそうなほどの視線が集まる環境の中、若さや魅力、個性など自らのパワーを削ぎ取り、こちらに分けてくれるような姿にヒヤッとしながらも、その輝きに見惚れてしまう。

 だからこそ、その次のステージで、「これまでの経験丸ごと」を自分のものにして突き進んでいく人を見ると、ガツンと心を殴られたように感動する。そしてその輝きのプロセスを、改めて知りたくなるのだ。

 私が近年、そういった清々しいほどの感動を持って見ているのが、あっちゃん、前田敦子である。

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AKB48で“不動のセンター”になるまで

 もう言わずもがなではあるが、彼女はAKB48の第1期メンバーで、グループを時代のモンスターにのし上げた不動のセンターだ。

第3回インターペットアワード授賞式に出席した前田敦子

 2007年の紅白歌合戦に、中川翔子、リア・ディゾンとともに「アキバ枠」として初出場したときのことはよく覚えている。当時は、次の歌唱の米米CLUB・カールスモーキー石井が彼女たちに向かって

「はい、おうちの方が心配してますよ、小娘たちは帰りましょうね」

 と冗談で言ったほどの認知度の軽さ(低い、ではなく軽い)。私も一時のお祭りで終わるのかな、と思っていた。

前田敦子と篠田麻里子 ©文藝春秋

 そんな彼女たちが数年後、時代を引っ掻き回すほどの一大ムーブメントを巻き起こすことになり、本当に驚いた。なかでもセンター前田の人気は凄まじかったが、彼女から見えるのは自信より「なぜ私が感」とプレッシャー。全盛期の印象は「とにかく大変そう」だった。