来年2019年に放映開始40周年を迎える国民的大人気アニメ「機動戦士ガンダム」シリーズ。奇しくも2019年は平成が終る年。平成時代に作られた「ガンダム」作品を振り返ると、時代の空気が浮かび上がってくる。『ガンダムと日本人』(文春新書)が電子書籍化されるライターの多根清史氏が、ガンダム作品を通じて平成という激動の時代を振り返る。
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平成最初の主人公はロボットに乗らなかった
2019年、平成最後の年に第1作の放映開始から40周年を迎える「機動戦士ガンダム」。この間、「ガンダム」は途中に小休止をはさみながらもシリーズを続けてきた。
つまり30年と約4か月もの平成という時代は、ガンダムとともに歩んできた。シリーズが生きながらえてきたのは、各作品がブランドに甘えず、それぞれの時代性を取り入れてきたからだ。ガンダムとは「平成を映す鏡」だった。
最初の転機となったのは、平成元年に始まったOVA『機動戦士ガンダム 0080 ポケットの中の戦争』。ガンダムの生みの親・富野由悠季氏以外の監督が手がけた、初の映像作品だ。個人の作家性から切り離され、ガンダムが独り歩きした第一歩だ。
通称「ポケ戦」は、ロボットに乗らない少年が主人公だ。戦闘シーンがかなり少ないのは、「少年が暮らす普通の街」を舞台としているから。初代と大きく異なるのは、少年がジオン軍、つまり敵役だった側に味方していること。ここではガンダムは、倒すべき相手だ。その構図は、ちょうど大量の核兵器を持つアメリカにも疑いの目が向けられた、冷戦末期の空気を思い出させる。
敗戦したジオンの残党が逆襲する『機動戦士ガンダム 0083 STARDUST MEMORY』は、ソ連が崩壊した平成3年にスタート。すでにベルリンの壁が壊されてから2年、超大国の終焉が秒読みされていた中で制作・公開されたOVA(後に劇場公開)だ。
敵も味方もガンダム。地上と宇宙を股にかけた大激戦で、最高峰のクォリティで描かれたアクション作画は、どこか80年代バブル経済への鎮魂歌を思わせる。核バズーカを持つ敵ガンダム、次々と超兵器を繰り出す主役ガンダム・デンドロビウムの華々しい姿は滅びるための死に装束でもあり、その後の「失われた20年」を予感させた。
ファイト! 拳で殴り合え、ガンダム
『機動戦士Vガンダム』(平成5年~)は富野監督が6年ぶりにテレビ版ガンダムに復帰した作品だ。視聴者層の若返り、子供向け狙いで、主人公は13歳と歴代シリーズの最年少。初代ガンダムから数十年後の時代設定で、前作を知らなくても見られる作りだ。
しかしフタを開ければ、連邦の支配が弱まってコロニー(小国家)が相争い、ギロチンで政敵を粛清する凄惨な争い。あたかもソ連の支配が消えたあとの東欧、ことにユーゴスラビア紛争や民族浄化を彷彿させた。おそらく冷戦後の混沌を、最も早く映像にしたアニメだろう。
『機動武闘伝Gガンダム』(平成6年~)は富野由悠季氏以外の人物がテレビ版の監督をつとめた、初のガンダムだ。初代と地続きの時間軸にある「宇宙世紀」とは関係のない別世界を舞台とした、いわゆる「アナザーガンダム」の元祖である。
劇中で繰り広げられたのは、ガンダム同士が拳と拳で殴り合うガンダムファイト。90年代前半の格闘ゲーム人気にあやかった趣向で、コロニーを代表する戦士達がガンダムファイトで国家の覇権を賭けて戦う。
最初こそ視聴者には戸惑われたものの、主人公の師匠・東方不敗が登場したことで大ブレイク。生身の人間が巨大ロボットを殴り倒す荒唐無稽さはシリーズの殻を打ち破り、「どんなテーマや内容でもガンダムにできる」自由を切り開いた。
ヒロインが「殺しにいらっしゃい!」
続く『新機動戦記ガンダムW』(平成7年~)は5人の美少年がガンダムに乗るという意味で、後のアイドルユニット作品の原点といえる。極秘任務に失敗した主人公が、いきなりガンダムを自爆させる……という衝撃的な冒頭から、各パイロットが自分の意思で陣営を乗り換えたりと、大河ドラマ的なストーリーも目が離せない。
それ以上に注目すべきは、自立した女性像。秘密を知られて「お前を殺す」と言う主人公に、「早く私を殺しにいらっしゃい」と応えるヒロイン! 状況に流されることも、男に守られる立場に甘んじることもなく、地球と宇宙の和平に奔走した強き女傑たち。
その最終的なゴールが「ガンダムの封印」であり、現実の核軍縮の動きにもリンク。海外でもヒットを記録したのは、国境を超えた普遍性や同時代性のおかげかもしれない。
宇宙戦争が終わったあと、ジャンク屋の少年が生活のために「ガンダム、売るよ!」と競売にかけるのが『機動新世紀ガンダムX』(平成8年)だ。人類のほとんどが死滅した世界で、少年少女が出合いと別れを繰り返して成長していくロードムービー風の作り。これまでの「スペースコロニーが地球に落ちないよう頑張る」シリーズに対して落ちたあと=「戦後」のムードは、地下鉄サリン事件の翌年という空気をどこか漂わせている。