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『“それ”がいる森』の監督・中田秀夫も、《相葉さんは、現場でこちらが惚れ惚れするほどの『自然体』でありつつ『この場面から主人公本人の自覚がグッと高まるべきですね』と肝になる発言をしてくださり、私としてもとても助けられています》と高く評価する(『キネマ旬報』2022年7月下旬号)。パーソナリティーは自然体でありつつ、演技に関してはきちんと計算しているのだ。ここには、これまでにさまざまな演出家や監督から学んだことが生かされている。なかでも強い影響を受け、俳優としての自分を育ててくれた“お母さん”みたいな存在と彼が慕うのが舞台演出家の宮田慶子だ。

本格的に演技に開眼したきっかけは…

 相葉の初舞台は嵐結成の2年前、1997年の『Stand by Me』だが、2005年に単独で主演した『燕のいる駅』で宮田と出会い、本格的に演技に開眼する。

 宮田の指導は厳しく、演じる役が現実ではありえないような状況に置かれても、ただパニックになるさまを演じるだけでなく、その奥で何を思っているかをきちんと表現するよう要求した。経験の浅い相葉には、正直言ってどうやって表現すればいいのかわからなかったが、それでも宮田が追い込めば追い込むほど必死になった。それというのも、共演者やスタッフが色々とフォローしてくれ、それに恩返しするにはどうしたらいいかと考えると、やはり自分が頑張って座長の責任を負うしかないと思ったからだ。そう覚悟を決めて相葉が食らいついていくと、宮田は彼が気づくような話し方で、うまく誘導してくれたという(『婦人公論』2010年5月7日号)。

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『“それ”がいる森』公式サイトより

 以来、相葉は宮田の演出で『忘れられない人』『グリーンフィンガーズ』『君と見る千の夢』、そして前出の『ようこそ、ミナト先生』と立て続けに舞台に立ってきた。タッグを組むうち相葉が俳優になってきたと感じた宮田は、こう演じるよう誘導するのではなく、「こういうふうにしたい」といきなり結論を言って、そこへ行き着くにはどうしたらいいか彼自身に考えさせるよう、指導方法も変えた。それは《あなたのそのすさまじい集中力をもってすれば、必ず答えは出てくるよね、と》見込んだからでもある(『婦人公論』2010年5月7日号)。

俳優、演出家という立場を超えた関係

 相葉にとって宮田は、一演出家という立場を超え、劇場の外でも一緒に食事に行ったり、相談に乗ってもらう関係だ。あるドラマの撮影で悩んでいたときには、宮田が現場まで来て話を聞いてくれたこともあったという。

 嵐の活動休止後、相葉は自分と向き合うなかで舞台にもう一度挑戦したいと思っていたという。そこへ持ちかけられたのが『ようこそ、ミナト先生』への出演オファーだった。ただ、舞台の厳しさも知るだけに、それを聞いたとき、「ついに来ちゃったか……」と複雑な心境だったという(『日経ウーマン』2022年7月号)。