《誰かのためと思ってやってる時はある意味楽だったというか、わかりやすい目標があったなぁ、と思ったりしたんですよね。女優としてどうなりたいか、という夢もよくわからなかったし、どうしてやっているのか、とか……。でも、それを言ったら、『辞めてどうするの? やりたいことも今ないんでしょう? とりあえず一年休んで考えてみたら』、って事務所の人に言われて》(※6)
「いまから雇ってくれる会社を探すのも大変だし…」
休業中はいろんな国を一人旅しながら自分を見つめ直した。本人いわく、このとき、俳優を辞めて会社員になろうかとも改めて思ったが、《冷静に考えて、いまから雇ってくれる会社を探すのも大変だし、こんな休ませてくれるところもないよなと思いまして》、事務所には《「すみません、働きます」って戻ってきたんです》(※2)。
休業中に気づいたのは、映画もドラマも舞台も、いろんな人がかかわってつくられているということだった。演者として、そういう人たちのことも本当はもっと見なければいけなかったのに、自分は《『私がやったのに、おばあちゃんは観てくれてないじゃん』みたいな、すごく小さいところにいたんだな》と反省したという(※6)。
2018年の対談(※2)では、《現場って、男女いろんな年代の人が同じ環境の中でひとつの作品に向かってるわけじゃないですか。それが自分にとってすごい興奮材料で、「嬉しいなあ、嬉しいなあ」って一日一回は必ず感じてるんですよね》と語りながら泣きそうになった。こうした現場への思いにも先の反省が活きているのだろう。同時に彼女の豊かな感受性もうかがえる。
彼女が演技で見せる感情表現も、こうした豊かな感受性に支えられているに違いない。昨年の『最愛』では、登場人物たちが同じシーンにいてもそれぞれに心の方向が違うため、撮影中はプロデューサーの新井順子や演出の塚原あゆ子と、演技について技術的な話よりも感情の動きに関する話をすることが多かったという。