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実在の事件の扱いは、それで良かったのか? 今年最大の話題作『エルピス』、語られなかった「危うさ」

2022/12/28
note

 容疑者への自白強要に関する描写・テレビのニュース特集による冤罪疑惑の追及・DNA再鑑定の経緯等については「足利事件」を、被害者の行動に関する描写(これはセンシティブな問題でもあるため、ここでは具体的には記述しない)については「東電OL殺人事件」を想起させる。

 そして「参考文献」では決して大きく扱われているわけではない「飯塚事件」の要素が、「八頭尾山連続殺人事件」の構成において明らかに強く参照されている。

メインテーマは冤罪や未解決事件ではない

 しかし、実在事件のコラージュのような形で作られた「八頭尾山連続殺人事件」を中心に構成されたこの物語で語られる主題は、冤罪や未解決事件の存在そのものであるとは言い難い。

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 佐野は

「浅川恵那と岸本拓朗は対であって凸凹ではないので、あやさんにも、そういうバディってなかったですねって話をしたら、『この2人は、佐野さんの内面を2人に分けたので、同じなんですよ』と言われて、なるほどと思いました」(『エルピス』のプロデューサー佐野亜裕美インタビュー - TOKION

 と語っているが、実際『エルピス』で中心的に描かれているのは、「佐野の内面」、つまりひとつの「私」の在り方をモデルとして造形された浅川・岸本というふたりのキャラクターの、成長と自己言及の過程だ。

岸本拓朗を演じる眞栄田郷敦 ©時事通信社

 事件の当事者も含めて多数のキャラクターが登場するが、物語の主軸になるのはあくまでこのふたりの軌跡である。「着想を得た」現実の事件それぞれに対して、ルポルタージュや法的・科学的研究のように具体的な言及なり考察なりが行われるわけでは当然ない(これはフィクションとしてのテレビドラマ=物語作品なのだから当たり前だ)。

 もちろん、現実の事件をモチーフにしたフィクション作品というのは、数えきれないくらい膨大に存在する。ただ『エルピス』が特徴的なのは、複数の実在事件のコラージュによって劇中の事件が構成され、かつ物語における焦点が、その事件の外部に置かれた浅川・岸本の「私の物語」(ふたりは物語において「対であって凸凹ではない」。そこにあるのはふたつのキャラクターに分化された、同じ一つの「内面」である)の問題に当てられていることにある。

 劇中では、殺された人々の存在そのものより、冤罪被害者の存在そのものより、浅川と岸本の「内面」やその葛藤・成長が、そしてふたりが生業としてコミットしている/いたテレビ局=マスメディアの問題の方が中心的に焦点化される。その構図のなかでは言うまでもなく、モチーフにされた実在事件における現実の被害者たちの存在は後景化している。

 各事件における個別の要素がパッチワーク的に再編集される形で物語が構成されているため、実在事件そのものは、浅川・岸本の「私の物語」(及び、それを通した制作者側の、権力批判的なメッセージ)を語るための部品・パーツ化されている印象がある。