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実在の事件の扱いは、それで良かったのか? 今年最大の話題作『エルピス』、語られなかった「危うさ」

2022/12/28

なぜ実在の事件をコラージュする必要があったのか?

 佐野自身、

「内容に関して視聴者の方に『よくやった』『攻めてる』と言われるのですが、本作は実在の事件に着想を得ていて、参考元の事件にはまだ未解決のものも多く含まれています。そこには被害者やご遺族・ご家族などがいるなかで、やはり誰かの不幸を、乱暴な言い方をすれば食い物にして物語をつくっているという、うしろめたさがずっとありました」((3ページ目)視聴者に無理やり答えを 与えるテレビは宗教に近い? 「エルピス」のエンディングに迫る (bunshun.jp)

 と語っているが、しかしこれはやはりエクスキューズに過ぎない。私が気になるのは、「私の物語」を語るために「着想を得た」複数事件を切り刻み、貼り合わせる必要が何故あったのか、という点である。

『エルピス』が選択した方法は、ひとつの事件をモチーフとし、それに対してフィクションの想像力を持って向かい合うようなやり方では少なくともない。それぞれは無関係であり内実についても大きく異なる実在事件をカットアップ・コラージュのように繋ぎ合わせ、「私の物語」を語るためのストラクチャーにする作品上の必然性が薄弱であるというのが、鑑賞後の私の印象である。

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「冤罪」という観点によってのみ各事件をただ貼り合わせたという以上のものは、ここには無いように思える。現実の社会や歴史に向かい合うような創作であるようでいて、しかし対象のピックアップの仕方・再構成の仕方に、社会・歴史のなかにある具体的な個別性への意識の欠落を感じるのである(それは極めて「日本のサブカルチャー」的な在り方であるように思う)。

 このことが、実在事件のなかを生きさせられたそれぞれの人々=「他者」をも「私の物語」のための「食い物」にしてしまうような想像力を招いているとは言えないか。そしてこれこそが、「現実にあった複数の事件の要素をコラージュ的に貼り合わせ、その上で『私の物語』を語ること」が生み得る「危うさ」だと、私には思えるのだ。

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