カルチャーショックだった。たまたま成績がよくて、大学や就職のことなんて1ミリも考えず、勧められるままに進学校に流れ着いた私。物心ついた時から大学に行くことを運命づけられ、ほぼ必然的に進学校に来た子たち。ここでは自分はレアキャラだ、と気づいた瞬間だった。
「成績悪いと親に怒られる」「塾に無理矢理行かされる」。そんな話を聞いて、ショックだった。私があれほど行きたかった塾は、他の子にとっては無理矢理行かされる場所らしい。
うちは、親戚を含めて中卒が当たり前だった。高卒は贅沢なんだよ、と親から聞かされて育った私は、親の世代ではそれが当たり前のことだと思っていたし、昭和には大学が存在しなかったんだろうというくらいの世間知らずな認識だった。両親が大卒という友達に囲まれ、今までの常識が音を立てて崩れ落ちた。
お金があっても悩みはある
高校で最初に仲良くなり、今に至るまでずっと仲良くしている2人がいる。しょうことはるだ。しょうこの家はお父さんが祖父の代から続く家業を継いでいる。はるのお父さんは政治家だ。その後仲良くなった子たちも、父が海外勤務、両親が教師などで、親がフリーターや日雇い労働者という子はいなかった。
生活で違いを感じることがたくさんあった。最新のスマホ、ブランドものの財布、毎日色が変わるカーディガン、栄養バランスが考えられ、色とりどりのおかずがぎっしりと敷き詰められたお弁当。コンビニに立ち寄れば、迷いなくお菓子や飲みものを買い、好きなアーティストのグッズにお金を惜しまない。みんなの生活のあらゆるところから、私にはない余裕が垣間見える。
それでも、彼女たちを一方的にうらやむことはあまりなかった。みんなが抱える事情や痛みも、同時に見えていたからだ。
うちでは考えられない友人たちの環境
部活がない時は、高校から近い友達の家に遊びにいった。友達の親御さんはいつも私によくしてくれた。どの家も玄関だけでうちの1部屋はありそうなほど立派で、田舎ではなかなか見ないようなピカピカの車を持っている。
みんな笑顔で迎えてくれたけれど、なんとなく、不穏な空気を感じ取る時もある。さりげなく友達に聞くと、「成績が悪くて、親に漫画を捨てられた」とか、「進路のことで親と喧嘩していて」という事情を打ち明けられることもあった。「〇〇大学以上じゃないと大学じゃない」と言われたり、成績が下がるといろいろ制限されたりという友人たちの環境は、うちでは考えられないことだった。他にも、引きこもりのきょうだいがいて不仲だったり、進路や成績について執拗に叱責されたりする友達を見ながら、「人には人の地獄がある」と悟った。