地方の貧困家庭で育った、ノンフィクションライターのヒオカさん(27)。幼い頃から父親の暴力にも晒される生活を送ってきた。2022年9月には彼女の壮絶な人生を綴った著書『死にそうだけど生きてます』(CCCメディアハウス)を上梓し、反響を呼んでいる。
ここでは、同書より一部を抜粋。進学校の高校に入学したヒオカさんが、同級生との会話で感じた“カルチャーショック”とは——。(全2回の1回目/1回目から読む)
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うちは制服を買えなかった
多くの人にとって、高校の制服を着る時期は生涯でいちどしかない。中学時代とは違って少し着崩してもいいし、ティーン向けの雑誌では毎回制服の着こなし特集が組まれる。
10代にとって制服を着ることは1つの憧れかもしれない。
私の家には、制服を買うお金はなかった。
私が通うことになったX高は何十年も制服のデザインが変わっていない。そこで、知人からお古をもらうことになった。しかし、私の身長は170センチ。ブレザーがパツパツで、腕を上げると生地が引きつれ、ボタンが取れそうになる。スカート丈が短くて膝を隠しきれないので、制服検査では早々に先生に目を付けられてしまった。
丈が短いのが気になり、別の人から大きめのお古をもらった。すると今度は横に広くて、瘦せ型の私にはだぶついた。縫い目や肩が不自然な位置にきて、不格好だった。採寸して各々の体にぴったりと合ったみんなの制服を見ては、胸がチクリとした。
周囲と私の違いはそれだけではなかった。
「わしのご飯をつくるのが遅くなる」という理由で部活動を制限
うちの高校は文武両道を校風に掲げ、部活への加入は絶対だった。私は中学の時の無念もあり、運動部に入ろうと体験入部に参加した。しかし、父に言われた。
「お願いだから運動部はやめてよ。お母さんが迎えで遅くなったら、わしのご飯つくるのが遅くなる」
自分のご飯をつくるのが遅くなる。そんな理由で部活をあきらめろなんて、あきれ果てて何も言い返せなかった。が、理由はそれだけではなかった。
部活動にかかる道具やユニフォーム、合宿費などは自己負担だ。私は高校も奨学金で通っていたし、とてもそんなお金を出す余裕はなかった。習い事は一切できなかった家だ。
ある意味当然だった。塾や習い事など、あきらめたことはたくさんあった。しかし、部活まで制限されるとは思いもしなかった。
アスリートを見て思う時がある。彼らは確かに稀有な才能を持ち、並々ならぬ努力を重ねた。そして、才能が開花の兆しを見せるまで、投資してもらえる環境があった。努力できる環境に身を置けるのは、ある程度お金がある人だけだ。音楽も同じだ。ピアノをはじめ、楽器に触れる環境がなければ、そもそも何が好きで、何が得意なのかすら、わからない。