親が決めた枠のなかで進路を選ぶ子供は本当にしあわせなのか
しょうこは幼い頃から習い事をいくつも掛け持ちした。でも何がやりたいのかわからなくなり、どれも途中でやめたと言う。
「しょうこはなんで親の仕事を継ぐの?」と聞いたことがある。「小さい時から見てきたから自然と。それ以外、考えたことがない」という答えだった。「弟ばっかり期待されるのが悔しくて。親が言う大学に受かれば、ちょっとは私のことも見てくれるかなって」とこぼしていた。そう言うしょうこの顔は少し寂しげだった。
しょうこだけではない。他にも親と同じ職業を目指す子は何人かいた。
親の職業。私の父は職を転々として、もはや今何をしているのかわからないような状態だ。母もパート勤務で「親の職業」と呼べるものは、私にはない。親の職業に影響を受けるという感覚が、私にはまったくわからなかった。
社会的に見ると、私はみんなとは対照的な家庭で育った。勉強しろとか、進路はこうしろとか、そういうことを言われたことはいちどもなかった。教育の投資は受けられなかった。しかし、高校に合格した時には「うちから進学校に行くなんて奇跡みたい」と無条件に喜んでくれた。それがいいのか悪いのかはわからない。ただ、たっぷりとお金をかけてもらっても、「自分が本当にしたいことがわからない」と言いながら、それでも親が決めた枠のなかで進路を選ぶ友達が本当にしあわせなのか正直わからなかった。
“普通とは違う”自分の境遇を憎めなかったもう1つの理由
お金があるからしあわせとは限らない。
他人を表層だけ見て決めつけない。
それぞれ抱える事情がある。
人には言えない苦しみがある。
私が“普通とは違う”自分の境遇を憎めなかった理由がもう1つある。貧しいなかでも、懸命に、痛いほどに私のことを愛してくれた母の存在だ。
周囲との違いに対する戸惑いや寂しさに、思春期の不安定さが重なり、母に恨みをぶつけてしまうことも少なくなかった。それでも母はいつも静かに受け止めてくれた。私がどんな態度をとっても、母は変わらなかった。母は、言葉や態度の奥にある、痛みを見ることができる人だった。体調を崩しがちな私のことを、いつも心配していた。雑炊やりんごをすりおろしたものを用意してくれた。肩や首が凝って、頭痛がひどい時には、1時間かけてマッサージをしてくれた。学校に行けなくなった時、よくドライブに連れていってくれたのも母だった。
何があっても母は私の味方だった。
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