中米パナマ。そう、あのパナマ運河があるパナマだ。古くはメジャーでホームラン王に輝いたベン・オグリビー(元近鉄)、ベルトが緩いのか、いつもユニフォームの上着の裾を出してプレーしていたシャーマン・オバンドー(元日本ハム)、日本ハムを北海道移転後初の優勝に導いたフェルナンド・セギノール、それにホームランを打つたび「パナマウンガー」と叫んでいたフリオ・ズレータ(元ダイエー、ロッテ)など幾多の名助っ人を輩出した言わずと知れた野球大国だ。イチローもリスペクトするメジャーの安打製造機、ロッド・カルーの名は、首都パナマシティにある国立球場に刻まれている。
この国にもウィンターリーグがある。と言っても、毎試合200人も入れば上出来で、シーズンがあるのかないのか、直前になってみるまで分からない、今シーズンもプレーオフに進出する2チームの目途が立つと、途中で打ち切りとなったり、国内リーグ終了後に行われる国際シリーズ、「ラテンアメリカン・シリーズ」に出場すべきチャンピオンチームが、「やっぱ出ない、金ないし」などと言い出したりと、極めていい加減なリーグなのだが、こんな「野球の果て」とも言っていいリーグにも日本人選手が挑戦していた。昨年、独立リーグの滋賀ユナイテッドのマウンドに登っていた平尾彰悟だ。それにしても、なぜそこに?
イップス、大学中退……独立リーガーの「王道」
小学校時代の作文に「(地元京都の龍谷)平安高校に行きたい」と書いた平尾少年。希望していた伝統校への進学の夢はかなわなかったものの、それでも強豪・京都成章高校から名門龍谷大学に進学、他人もうらやむような順風満帆な野球人生を送っていたが、彼自身、ここまでは「社会人野球に行ければいいな」くらいの欲しか持つことはなかった。
しかし、ここで平尾は大きくつまずいてしまう。これから主力という3年の時に野球部を退部してしまうのだ。そのまま大学も中退というコースは、まさに独立リーガーの「王道」だった。その原因は、イップスだった。
「何がきっかけとかはないんですけどね。急にボールが投げられなくなったんです。すぐ手前でワンバン。高校まではそんな経験したこともなかったです。(大学)1年の時は先輩とキャッチボールするのが少し怖かったことはありましたけど」
心当たりのないまま投げられなくなったボール。投手として致命的とも言えるこの症状に平尾はマウンドからも、そして、キャンパスからも姿を消した。
その後、彼が足を踏み入れたのは、「ブラック職場」と若者から忌避される飲食業だった。仕事はきつかったが、開業という夢があった平尾にはそれも気にはならなかった。