創作の過程で最も大切にしていることは…?
『この世の喜びよ』の主人公は、ショッピングセンター内の喪服売場で仕事をしている。いつも喪服を着込んでいる人物が小説内に出てくるなんて、他にあまり例を知らない。いったいどのように発想したのだろう。
「自分がよく行くスーパーにも喪服売場はあって、そこはいつ見かけてもにぎわっていることがない。ここを小説の場に設定したらどうなるだろうとふと思い、エピソードを頭のなかに描いていきました。綿密に取材したりといったことはないですが、観察はしますね。不審がられない範囲でチラチラと眺めて、従業員のシフトや休憩時間はどうなっているかな? などと観察して想像したり」
井戸川作品では、どんな何気ない場面にもハッとするようなきらめく表現が入り込んできて魅了されてしまう。そうした文章は観察力の賜物ということか。
「そうですね、よく読むこととよく観察することは大事にしています。いろんな本を読んでたくさんの表現に触れることがまずは前提で、そこで見つけた比喩や表現のしかたは、私が書かなくたってもうあるのだからいい、それ以外の自分にしか書けない海の輝き方や葉っぱの揺れ方を書こうと心がけています。そのためには自然も人もよく見て観察しないといけなくなりますね。もちろんオリジナルの言葉なんて生み出せないしそれじゃ人に意味を伝えられないんですけど、既知の言葉を使ってもオリジナルの並べ方はできるかもしれず、それを目指しています。
派手な出来事がたくさん起こるのも楽しいんですが、『あ、この一文がいい、メモしておきたい』と多く思えるのもいい小説だなと感じます。いまの私は、そういう小説を読みたいし書きたいです」
主人公を「あなた」と呼ぶ二人称の形式を用いているのが、今作のひとつの特徴になっている。これも小説をおもしろく読み進めるための工夫のひとつとなっている。
「二人称の小説をいつか書いてみたいと前から考えていました。書くたび新しい挑戦はしたいので、今回取り組んでみてなんとかうまくいったかなと思えるものができてよかった。読んでくれた方も、二人称の表現を受けていろんなことを考えてくださったりしていて、それがまたうれしい。『あなた』という言葉が出てくると対になって『わたし』の存在が予想される、その『あなた』と呼びかけているのは何なのか? と人それぞれ想像してくれているようなんです。作者として『こういうつもりで書いてみました』というのはありますけど、それが正解というわけでもないし、そこは明かさないようにしています」