芥川賞受賞作『この世の喜びよ』の執筆動機はどこにあったのか
高校で国語を教える日々のなかで、現代詩をどう教えようかという壁に直面した。打開策を探って自分で書いてみたのをきっかけに詩作を深めていき、2018年に私家版の詩集『する、されるユートピア』をつくった。これが反響を呼び、翌年には優れた詩集が選ばれる中原中也賞を受賞した。
「自分で詩を書いてみたほうが、書いていないよりは理解が深くなるかなと思って書き始めました。それでうまく詩を教えられるようになったかどうかは、ちょっと定かではないんですけど」
詩集を出してみると、書いた内容が現実そのままと思われたりして、困惑した。小説ならもっとフィクションぽくて混同されることもないかなと、2020年より小説作品を発表し始めた。
こちらもすぐ注目され、2021年には小説集『ここはとても速い川』が第43回野間文芸新人賞を受賞した。その後も詩、小説とも書き継いでいき、今回の芥川賞受賞へとつながっていく。
今作『この世の喜びよ』の執筆動機はどのあたりにあっただろうか。
「いまも真っ最中ですが、当時も育児をしていて、それがなかなかしんどかった。子どものことを親である私が見守っているのと同じように、私もだれかに見守られていたら、すこし気持ちが楽になるかなと思いました。『あなた』と呼びかける二人称の形式を用いて小説を書いていくことで、自分がだれかに見守られている視点を確保しようとしたんじゃないかという気がします。
それに、単純にいまの気持ちを忘れないよう、書き留めておこうというつもりもありました。子育てしていると人から『いまがいい時期だよ』『いまがいちばんかわいいよ』などと言われたりして、たしかにそうかもしれない。せっかく大切な時間を過ごしているというのに、正直なところほとんどのことはそのままあっさり忘れてしまうし、子に対して『ああ早く寝てくれないかな』と思ったりもする。
ずいぶんもったいないことをしているんじゃないか、忘れちゃいけないものを忘れないうちに書いておこうと思い立ったという面はあります。タイトルにあるように、この世の至るところにいろんな喜びがあるものですよねと、言いたかった」