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「反田は14年から国立モスクワ音楽院に留学していました。当時、インスタグラムで目についたサーシャにメッセージを送ったことで、交際に発展。ピアノとは無縁で、可愛らしい感じの金髪女性です」(同前)

 反田は16年にモスクワ音楽院を中退し、翌17年にはショパンの母国・ポーランドのワルシャワ音楽院に入学。コンクールを目指し、技術を更に磨いていく。

「サーシャとは17年に籍を入れた。欧州と日本を行ったり来たりの生活だったようですが、彼女は懸命に夫を支えてきました」(同前)

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恋愛において「自由人」と公言

 19年11月には、1億1000万円のローンを組んで都内の高級マンションを購入。ただ、その直前の同年10月のインタビュー(WEBマガジン「ONTOMO」)には、こんなやり取りがある。〈やはり結婚は縛られるから、したくないですか?〉と問われ、反田が〈彼女がいるていで話しますけど、そこはあまり問わないです〉と答えているのだ。

「反田は両親に結婚を反対されており、公にしてこなかった。だから、取材にも“独身”として話しているんです。彼は恋愛において『自由人』と公言するなど、女性を振り回すタイプ。夫婦の間にも亀裂が入り始め、ショパンコンクールで2位になった21年秋頃、サーシャに離婚を切り出した。調停の末、結婚生活に終止符が打たれたのは昨年10月頃のことでした」(同前)

署名入りの結婚・妊娠報告

 他方、元々幼馴染の小林とはショパンコンクールでの入賞もあって、関係が深まっていったようだ。別の音楽関係者が声を潜める。

「小林は元日に妊娠を発表しました。反田の離婚時期から逆算すれば、不倫の疑いがあるのでは。それとも何か“超絶技巧”が……」

 

反田に事実確認を求めると……

 反田に事実確認を求めたところ、代理人弁護士が主に以下のように回答した。

「ロシア人女性との婚姻及び離婚は事実です。その他の質問(結婚と離婚の時期、出会いの経緯など)につきましては、その方のお立場もございますので回答は控えさせていただきます。小林氏と不倫関係にあったとの事実はございません」 

 “別れの曲”を奏でた直後の電撃婚だった。