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〈そのとき小ゑんが謎かけをやったんだ。「坂本龍馬のカードをお持ちの方、賞品は小型ラジオであります。勤王の志士で“キク”一辺倒」なんてね。うまいもんだよ〉

談志さんと大喧嘩をしたことも

 本名で俳優活動をしていた毒蝮さんに、「毒蝮三太夫」という芸名をつけたのは、人気番組「笑点」の司会をしていたときの談志さんだ。

〈俺が座布団運びをやるようになったんだけど、「ウルトラマン」に出てる役者に座布団を運ばせるとは何事か! という抗議が来た(笑)〉

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 それがきっかけで、芸名をつけることになった。

〈今でこそ、みんなから「マムシさん」って呼ばれるようになったけど、当時の評判はひどいもんだったよ。南田洋子さんに「どうしてそんな名前になっちゃったの?」って言われたもの〉

〈ずっと仲が良かったわけじゃない〉という毒蝮さんは、談志さんと大喧嘩をしたこともあったという。

若かりし頃の毒蝮さん(左)と談志さん まむしプロダクション提供

 品川駅のホームで、寄席をサボるという談志さんに怒った毒蝮さんは、

〈「お前はそんな料簡で仕事してんのか」って突き飛ばしたんだ。こっちは本気だよ。でも、突き飛ばしたはいいけど、ホームの柱につかまって、クルッと戻ってきちゃった。そしたら談志が「お前は俺を殺す気か」って目を剥いてたな〉

病院で本名で呼びかけられると、「俺は談志だ!」とすごんでた

 長い付き合いの毒蝮さんは、談志さんが真打昇進を後輩に抜かれたときや、師匠である柳家小さんとの対立の経緯、国会議員を辞めた裏事情なども知っている。

 それを語る毒蝮さんの口調は穏やかだった。

 談志さんは2008年に喉頭がんを患い、入院する。そのときの様子も語ってくれた。

〈立川談志としての執念は、病院のベッドでも続いてた。看護師に「松岡克由(かつよし)さん」って本名で呼びかけられると、「俺は談志だ!」とすごんでたからね。でも、仕方ないよ、病院なんだから(笑)〉

 最後に毒蝮さんはこんな「謎かけ」を語ってくれた。

〈アイツは死んでない。まったくしぶとい野郎だね〉

 さて、その心は? インタビューの全文は月刊「文藝春秋」3月号(2月10日発売)、および「文藝春秋 電子版」に掲載される。

文藝春秋

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十三回忌 立川談志は死んでない