真夜中に罵詈雑言で叩き起こされた編集長は、遠方から慌てて駆け付ける。ところが西村さんは、会に合流した編集長を終始無視。会が終わるまでひと言も口をきかず無視を貫き通したのだ。
この一件を後日の日記ではこう記しとぼけてみせた。
「翌朝に手土産の明太子を自室で見つけ、はて、さては自分が呼び出したのだろうか」
臭え! 臭え! 臭え!
“根がデオドラント尊重主義”で嗅覚については自信のあった西村さん。とりわけ女性を罵倒する際、臭いをやり玉に挙げる語彙は苛烈を極めた。
「口臭女」「膣臭女」「このオリモノ女め」
罵倒の対象は、小説内の人物のみならず、酒場の店員、共演した女性タレントにまで容赦なく及んだ。それでいて、自分の作中の罵倒表現を喜ぶ読者のことは「低級」として侮蔑していたのだから世話はない。
「信濃路」でも吠える
西村さんの行きつけとして広く知られることとなった、鶯谷駅至近の居酒屋「信濃路」。生前から“聖地巡礼”に訪れるファンも多かった。西村さんの特等席は、鰻の寝床のようなカウンターの最奥、店中でいちばん狭い席。
ここは個室トイレの扉の前なので、ファンに確実に見つけてもらえるのだ。だが、西村さんはあの巨漢。誰かが開けるたびにトイレの扉がからだを掠め、西村さんは相手をギロッと睨みつけたり、あわや胸ぐらを掴みそうになるのだ。
ちなみに、厨房を挟んだ店の反対側、テーブル、小上り、いくらでも広い席は用意されている。それなのにあえて狭い、人の通りの多い場所に陣取って酒を呷る理由は、言うまでもない。
私小説に生き、私小説に消える
いかがだったろうか。私小説を書き続けた西村さんは、自らを「北町貫多」と名付け作中で大いに傍若無人を働かせたが、なんのことはない、作者自身もまた多いに暴れ、罵り、酒に浸って生き抜いたのだった。
一周忌を機に、単行本化されていなかった遺稿が作品集『蝙蝠か燕か』として刊行される。絶筆として話題を呼んだ長編『雨滴は続く』とあわせて、虚実ないまぜの西村賢太の世界にどっぷり浸かってほしい。