芥川賞作家の西村賢太さんが亡くなって、2月5日で早くも1年が経つ。西村さんといえば、受賞記者会見での「そろそろ風俗に行こうかなと思っていた」発言が広く知られるが、これは「伝説」のほんの一端に過ぎない。
西村さんの執筆に伴走し、彼の人となりを熟知した担当編集者たちに言わせれば、世間がひっくり返った記者会見での「迷言」はまだまだほんの序の口。生粋の西村賢太ファンも知らない、これまでメディアで語られることのなかった伝説の「暴言」「無頼」の数々をここにお届けする。
ぼくのアイデンティティは中卒だ!
冒頭で「芥川賞作家」と紹介したが、ある時期から西村さんは、自分のプロフィールから「芥川賞受賞」の文字を外してくれ、代わりに「中卒」と入れてくれと言うようになった。
「自分が受賞して以降の芥川賞に価値はない」
こう言ってはばからなかった。後年は芥川賞のことを“文春一大カラ祭り”とくさすようにすらなっていた。没後、遺品の整理に立ち会った編集者が言う。
「芥川賞の正賞は開封もされていませんでしたよ」
「おりこうバカ」の編集者=サラリーマンどもめ!
“大学を出ただけで文学に碌に愛着もない”
“中卒”の西村さんからすれば、大学を出ただけのサラリーマン編集者は、罵倒と揶揄の格好の対象だった。因縁をこじらせた某誌編集長には「吹けば飛ぶような小男馬鹿」「蟹味噌に意地汚い小男」「バカッター発言でおなじみの小男」と、もはや愛着かと思われるほど執拗に誌面で侮蔑を重ねた。
また別の編集者には「キモ貝」とのあだ名を与えただけではあきたりず、彼の好んで食すカレーを“公衆便所の便器飛び散りカレー”と評した。
計5回も一方的に担当をクビにされた(そしてそのたびに手打ち式を経て復縁した)つわもの編集者も存在する。
夜中の無視事件
ある年の忘年会の折、流れで、前日に届いた某誌連載のゲラの話になる。執筆の苦労や編集者とのいざこざを酒の肴にしているうちに、ゲラの気に食わない点がどんどん気になって来た西村さん。腹に据えかねていた思いがヒートアップし、酒の力も借りて、夜中の文壇バーから恫喝電話をかけて同誌編集長を呼び出した。