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ナイフで切り刻まれた遺体

 キーウに戻ってから、首都防衛を担った志願兵たちに取材した。20代のITエンジニアの男性は侵攻翌日に「郷土防衛隊」に志願すると、その日の晩にキーウ近郊の前線に動員されたと語った。ヘルメットも防弾ベストもなく、手にしていたのはカラシニコフ(自動小銃)と少しの弾薬だけ。それでも首都近郊の森林で、敵の戦車部隊の進軍を阻止する任務についた。

 見せてくれた写真には彼が戦地でアメリカ製の対戦車ミサイル、ジャベリンを肩に乗せて構えているところが写っていた。敵と急遽対峙した志願兵は、現場でジャベリンの使い方を2時間で習得したという。ほとんど素人の若者たちが首都防衛の一端を担っていたわけだ。

 50代の女性医師は夫とともに「郷土防衛隊」に参じている。首都の空港の防衛や近郊の町の攻防に加わり、いまも東部の前線に立っている。彼女がキーウに一時帰還した時に取材すると、こう語った。

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「ウクライナが勝つと私は楽観視しているが、それまで私が生き残るかは分からない。私たちの多くは死ぬことになるだろう。最悪なのは中途半端に戦を止めることだ。歴史を見れば、ロシアは常にウクライナを侵略し、市民を殺している。我々の世代でカタをつけなくてはならない」

プーチン大統領 ©クレムリン

 私がキーウに戻った時、1か月にわたり占領された首都近郊の町ブチャ発の画像が世界を震撼させていた。路上に転がる住民の遺体、弾痕だらけの何台もの乗用車、そして手を後ろに縛られたまま頭を撃ち抜かれた犠牲者らの姿とともに、ロシア軍による拷問や性的暴行が横行した疑いが強まった。

 ゼレンスキーと一部の記者が現地を訪問した数日後に私も現場に入り、住民から占領下の惨状を聞いた。そこで背筋が凍るような現場に遭遇した。

 解放から数日後に自宅に戻ったという初老の男性が室内に招き入れてくれた。家財が荒らされ、何もかもひっくり返されたままになっていた。宝石類や現金、テレビも盗まれたという。そしてサウナ室の扉を開けると、血痕らしきものが目に入った。

 男性は「ここで女性が暴行され、拷問された」と話し、庭先の地下の貯蔵庫に案内してくれた。深さ3メートル、3畳ほどの地下室の中を覗き込むと、血に染まったシーツなどが目に飛び込んできた。「戻った日に、ここで女性の遺体を見つけた。全裸で、ナイフで切り刻まれていて、頭を撃ち抜かれていた。腐敗もひどかった。膝ががくがくして、震えが止まらなかった」と、男性は話した。犠牲者は行方不明になっていた34歳の女性だと判明したのだという。

 市民への虐待が明らかになったのはブチャだけではない。11月に8か月ぶりにロシア軍の占領から解放されたヘルソンでの取材でも、市民が監禁され、拷問を受けた現場に衝撃を受けた。市中心部の雑居ビルの薄暗い地下へ下りると、いくつかの部屋が並び、鉄のドアにそれぞれ黒スプレーで番号が振られている。地下の部屋はそれぞれ6畳から8畳ほどで、4人から10人ほどが収容されていたという。暗く、冷たく、黒カビが生えた地下室に入るともの恐ろしさを感じた。

 1か月以上にわたり監禁された男性の証言によると、室内にはビデオカメラが設置され、トイレに行くのも許されず、部屋の隅に置かれた5リットルのペットボトルに用を足すことを強いられた。食事が与えられるのは週に1〜2回で、飲水が許される地下の水道の水は濁っており、Tシャツで濾して口に入れたそうだ。拷問室は1階にあり、殴られたり電気ショックを加えられたりして、ビデオカメラの前でロシアを支援していると告白することを強要されたという。

キーウ在住のジャーナリスト・古川英治氏による最新報告「怒りと裏切りのウクライナ」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年3月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

文藝春秋

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怒りと裏切りのウクライナ