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「馬奈木氏のことを尊敬する気持ちもあり、2人で会うのを断らなかったのも自分なので、彼にされたことがセクハラ行為だと気づいた後も“自分にも責任があるんだな”と思ってしまいました。ただ後から、私以外にも多くの女性が彼から被害を受けていることがわかってきたんです」

 A子さんの周囲から聞こえてきたのは、馬奈木氏が参加していたサークル内での“性被害”だった。

写真はイメージです ©iStock.com

「馬奈木氏は学部生の時にインカレサークルに所属していて、大学院に進学した後もOBとして半ば指導者のような形でサークルに関わっていました。大学生から見て、大学院生で様々な言論活動に携わってきた馬奈木氏は、今のように社会的な地位を持ってはいなくても“強い”存在だったと思います。そういう非対称なサークルの人間関係の中で馬奈木氏に迫られて、被害について悩んでいた女の子がいることがわかりました」(同前)

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 セクハラなどの性被害は、立場の強い者に迫られた弱い側が、傷つきながらも泣き寝入りを強いられることが多い。馬奈木弁護士が顧問を務めていた「なくす会」はこうした構造に目を向け、ハラスメントの撲滅に取り組んできたはずなのだが――。

 A子さんは取材の最後にこう話した。

「馬奈木氏がしてきたセクハラ撲滅の活動自体は非常に大事なことで、多少の貢献はあったのかもしれません。ただ本人の卑劣な行動によって、結局は足を引っ張っている気がして腹立たしいです。もっと早くから、彼ではない人によってセクハラ問題についての取り組みや言論がなされていてほしかったのが正直な気持ちです」

©時事通信社

「頭を下げ、『二度としない』と誓っていました。それなのに結局…」

 馬奈木氏が大学院生時代に起こしたセクハラ騒動を知る関係者は、当時の後悔をこう語る。

「私は当時、馬奈木氏や被害女性と遠くない距離にいたのですが、馬奈木氏がしていたことに気づくのにとても時間がかかってしまいました。被害が発覚した後、馬奈木氏は誠実な謝罪の文書を書いて頭を下げ、『二度としない』と誓っていました。それなのに結局、北海道の大学に就職して半年も経たないうちに同じような問題を起こし、父親の昭雄氏にまで話がいって辞めるに至ったんです。地元の九州に戻り、その後弁護士になったのは知っていましたが、どんな気分でセクハラ防止に取り組んでいたのでしょう。そういえば先日出した謝罪文も、文面は丁寧でしたよね……」