状況が一変したのは、2018年12月のことだった。日本は、調査結果を認めないIWC(国際捕鯨委員会)を脱退する決断をする。しかし代償は大きかった。IWCに認められた調査でない限り、南極海での捕鯨はできない。日本はIWC脱退と引き換えに、30年以上も続けてきた調査捕鯨を手放して、日本近海での商業捕鯨再開を選択する。大越は、その決断に驚きを隠せなかった。
「もちろん商業捕鯨再開を目指して我々は調査を続けてきました。ただ正直に言えば、生かさず殺さずというか、のらりくらりというか。このまま調査を続けて行くのではないかと。細々とでも現状を維持していくのではないかと考えていたんです」
“おいしさ”で鯨を選別する
午前6時、第三勇新丸は大越の軽やかな声を合図に動き出す。
「今日もよろしくお願いします」
第三勇新丸が探して獲ったクジラを日新丸に運び、調査に必要な部位を採取し、食肉に加工する。捕鯨の手順は、調査時代から変わらない。だが、意識は変化したと大越は言う。
「いま重視されるのは、消費者の方々に喜んでいただけるおいしいクジラをいかに獲るか。肉質や生産量を上げるために、より大きく成熟したクジラを探すようになりました」
調査捕鯨時代は、計画に従って定められたコースに沿って船を走らせた。調査の公平性を担保するために、発見したクジラは大きさにかかわらず捕獲した。また調査捕鯨を主導したのは、水産庁の委託を受けた日本鯨類研究所である。第三勇新丸や日新丸を運行する共同船舶には、日本鯨類研究所から、人件費などの用船料が支払われる仕組みだった。
しかし商業捕鯨になってから、共同船舶は、クジラ肉の売り上げなどで企業として自立する必要に迫られた。調査時代に“副産物”としてあつかわれたクジラ肉が、事業の柱となったのである。いまは天候や水温、過去のデータなどから捕獲するクジラが数多く生息するであろうエリアを予測し、操業海域を決定する。そして発見したクジラのなかから、太って脂がのったクジラを選びに選んで捕獲する。もちろん商業だからといって、無制限にクジラを獲っていいわけがない。生息数などから割り出した捕獲枠が決められている。2022年の捕獲枠はニタリクジラ187頭、イワシクジラ25頭。
決まった数で、いかに多くの利益をもたらすか。それは乗組員たちの技術や経験に左右される。だが、生産性を上げるにしても、まずはクジラを見つけなければならない。
海原にクジラを探す。その作業は“探鯨”と呼ばれる。14年前、キャッチャーボートの甲板員は「オレたちがクジラを発見しなければ仕事がはじまらない。誰よりも早く、たくさんのクジラを見つけたい」と口を揃えた。夜が明けると彼らは、それぞれの持ち場につき“メガネ”と呼ばれる取っ手付きの双眼鏡で、船の付近から約12キロ先の水平線まで、360度広がる海原を見つめる。潮流がぶつかって泡立ったり、水色が変わったりする潮目や、海鳥が集まる鳥山があれば、周辺を重点的に探す。鳥や魚のエサとなるプランクトンや小魚をクジラも探している可能性が高いからだ。“イロ”以外にも、クジラの噴気である“ブロー”や尾びれをかいた瞬間に海面に浮かぶ円形の波紋である“リング”などクジラはいくつもの手がかりを残す。
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ノンフィクションライターの山川徹氏による「クジラを獲る男たち」の全文は、月刊「文藝春秋」2023年4月号と、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。
クジラを獲る男たち