村上選手の打球が美しい放物線を描きながらセンターの頭上を越えて、大谷選手と、ほぼ同時に周東選手がホームにすべり込み、そこにはいの一番にベンチから飛び出した牧選手がいて、ヘルメットと水しぶきと歓声が一緒くたに夜空に舞う、それが劇的な準決勝のエンディングシーンでした。
そして終わりのその瞬間は、始まりでもあった。今永昇太にとっては。勝ったということは、決勝戦に進むということ。勝ったということは、野球世界一を決める最後の試合に、昇太が投げるということ。昇太、元気にしてますか。アメリカのお水は合ってますか。一年に一回しか文春野球には登場しないルールのお母さん、球数制限をとっくに超えて、またここにきてしまいました。
だって昇太はベイスターズのエースだから
カメラがもみくちゃになる選手たちを捉えていました。勝つってすごいですね。準決勝に先発した佐々木朗希投手の、あの全てを赦されたようなホッとした表情を見てお母さん思いました。降板後のずっと祈るような、泣き出しそうな顔に、二十歳そこそこの若者が背負っていたプレッシャーを見せつけられ、お母さんまで泣きそうでした。勝ちとは、まるで台風が去った後の澄み切った青空のようです。勝ちは全ての不安を洗い流し、不穏を吹き飛ばし、まっさらな笑顔を運んでくる。でもあの歓喜の輪の中で、一人、昇太だけはもう「明日」が始まっていた。そうですよね。
「僕は周東がホームインした瞬間に明日の先発のことを考えていたので、あんまり喜ぶというよりは一人だけ緊張していたと思います」
初詣以外で神社に来ることなんて、今まであったでしょうか。信心とは程遠い俗まみれのお母さんです。それが「いや、買い物のついでに」と誰に向かってかよくわからない言い訳をしながら近所の神社に足を運んでしまいました。神様に「満を持して」がバレないように。お母さんも、そして多くのベイスターズファンもまた、あの瞬間に「明日」は始まっていました。昇太のことは信じてる。何も心配なんかしてない。だって昇太はベイスターズのエースだから。
どれだけベイスターズがエースを待ち望んでいたか、神様だってわかるまい。喉から手が出るどころか、もう全細胞からエースを求める手が伸び切り、あてもなく彷徨っていました。そんなベイスターズに今永昇太がやってきて、その左腕でたくさんのアウトカウントを稼いで、味方があんま点を取ってくれなくても愚痴の一つも言わず、その代わり謎の哲学ギャグをかまして、国際試合の代表選手にまで選ばれるようになったんです。お母さんが大泉逸郎なら「なんでこんなに可愛いのかよ~エースという名の宝物~」と歌っていたことでしょう。神様にだってきっと分からない。ベイスターズファンがどれだけ今永昇太を誇りにしているか。
神様に満を持してがバレないように「ちょっと小銭ないな」と誰に向かってかよくわからない言い訳しながらお賽銭を奮発し、静かに手を合わせました。お母さん、ずっと「今でも八雲神社にお参りするとあなたのこと祈るわ」という女性の気持ちが理解できなかった。今まで「ふって湧いたようにギャラのいい仕事が舞い込みますように」とかしかお願いしたことなかったから。遠くにいる誰かの幸せをお願いする気持ちが身に沁みて、お母さん生まれて初めて森高千里と邂逅しました。「絶対に勝たせてください」でも「ヒット一本も打たれるな」でもない。神様を前にしても、お母さんライターなのに上手に言葉にすることができません。ただただ、昇太が一番好きであろう野球を、最後まで楽しんでくれさえすれば。神様、どうかそれだけは分かってください。
「今日こういう勝ち方をしたので、特に何か気負うことなく普段通りやればいいのかなと思います」