時折、ふいに「さ~~き~~好きさ、さ~~き~~好きさ」という回文のCMソングを思い出す。「ハウス フルーツインゼリー」のTV-CMだが、メインタレントは当時19歳の高岡早紀。幼少期からクラシックバレエを習っていただけあって、歌に合わせて踊るダンスもスマートだった。当時の視聴者たちは、健康美溢れる姿にすっかり魅了されてしまったのだ。

 この爽やかさと色気が同居する魅力は、「いまのキミはピカピカに光って♪」(ミノルタ)CMの宮崎美子に通じるものがある。ただ、高岡の方にやや“魔性”的な魅力も感じてしまった。

 高岡は1972年12月3日生まれの神奈川県藤沢市出身。’86年、13歳で月刊「セブンティーン」(集英社)のモデル・デビューを果たした。14歳で「ミスマガジンアイドル夢工場’87」の最終審査で落選したものの、靴メーカー「マドラス」主催の「第3回シンデレラ・コンテスト」では最年少にして優勝。当時まだ中学生だった。

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16歳当時の高岡早紀(1988年)

 優勝者は同社TV-CMの出演もあり、“ファンファン”の愛称で知られたハーフ男優の岡田真澄と共演したそのCMで本格デビューを果たす。’88年4月のこと。同時にCMソング「真夜中のサブリナ」でレコード・デビュー。アイドル歌手としての活動も開始した。

1991年、コンサートでの激しいパフォーマンス

 ’89年には6月に写真集「Pirouette En Dehors」(CBS・ソニー出版)を発売し、10月には映画『cfガール』で銀幕デビュー。’90年には人気コミック(原作は望月峯太郎)を映画化した『バタアシ金魚』に主演……と、とにかく“あれよあれよという間に”を体現していたのだ。

「Pirouette En Dehors」

 さらに’91年には冒頭で紹介した「フルーツインゼリー」CMに出演したわけだが、この時点で既に市民権は得ていたように思う。本人的には私が思った何十、何百倍も“あれよあれよ”だったようで、高3になって進路と就職を改めて考えるようになり、’93年頃、高岡は事務所を辞めた。そして数か月間、イギリス・ロンドンに留学して本場のバレエを習い直し、英会話スクールにも通った。