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一大転機となった映画でのヌード。その後は写真集も続き…

 一大転機となったのは深作欣二監督の映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(’94年)。彼女はこの映画に出演するためにロンドンから帰国した。

 高岡の役は有名なお岩さん。“彼女がお化けメイクをするのかぁ”ぐらいに思っていたところ、スポーツ新聞か何かで“大胆ヌード”という見出しが目に飛び込んで驚いたことをよく覚えている。

 映画はヒットし、高岡は日本アカデミー賞最優秀主演女優賞ほか各賞を総なめ。弱冠22歳にして押しも押されもせぬ“大女優”となった。その翌’95年、つまり23歳のとき高岡は篠山紀信撮影のヘアヌード写真集「one,two,three」(ぶんか社)を発表。単なる偶然だろうが、一人の記者から見ても、この頃の高岡は文字通り1年毎にステップアップしていた存在だったと思う。

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「撮影中は毎日が辛くて、何度も逃げ出そうと思った」

©時事通信社

 第一線女優となったことで高岡のテレビドラマへの出演頻度が高くなり、あるとき筆者も彼女を取材することになった。高岡が日本テレビ系でスタートする新ドラマ『ストーカー 逃げきれぬ愛』(’97年)に初主演することが決まり、記者会見に行くことになったのだ。

 今でこそ“ストーカー”はポピュラーなワードだが、この当時はまだ目新しく、高岡も「社会問題になっているストーカー被害女性の心情を演じてみたくなり、出演を決めました」と語っていた。

 その会見終了後の個別取材のとき、話題は先の映画『忠臣蔵外伝 四谷怪談』に及んだ。そこで印象に残ったのが、“撮影中は毎日が辛くて、何度も逃げ出そうと思った”というひと言だった。

 てっきりヌードが辛かったのかと思ったが、彼女曰く「初めての時代劇で、メイクから衣装から所作からとにかく右も左もわからないまま撮影が進んでいく毎日が辛かった」。

 だが、撮影終了後、深作監督から「女優って楽しいだろ?」と言われたことで目から鱗が落ちたという。「女優って面白いんだ!」と、そこで女優という仕事の面白さに気づき、初めて心から「女優になりたい」と思ったそうだ。

高岡早紀“3つのキーワード”

 後年、インタビューで高岡は「人間、困難にぶちあたることが大事。その壁をどう乗り越えるか? 乗り越えた時こそ幸せになれる」と語っており、このときの経験をふまえての発言だと思った。