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“原辰徳”として生まれた宿命――3人の原辰徳さんに聞いた同姓同名でよかったこと、困ったこと

文春野球コラム ペナントレース2023

2023/04/06
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「巨人入団の可能性も?」浪速の原辰徳の場合

 続いて接触したのは、大阪在住の「浪速の原辰徳」である。大阪といえば阪神ファンのお膝元。いかにも標的にされそうな名前にしなくてもいいのに……と思ってしまうが、まずは由来から聞いてみた。

「鳥取出身の父は巨人ファンだったんですけど、ソフトテニスで国体に出た時に同じ大会に出ていた原さんの人気を見て衝撃を受けたらしいです。その人気にあやかろうと、辰徳と名づけられたと聞きました」

 こちらの原さんが産まれたのは1990年で、物心がついた頃は本家は選手としての晩年期。巨人戦のテレビ中継を見た父が「おい、お前出てるぞ!」と本家を指差し、原さんは「ボク出てる!」と無邪気に喜んだそうだ。

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 そんな原さんも野球を始めるのだが、ポジションは投手だった。高校時代は公立高校の投手ながら130キロ台後半の球速をマークし、密かに注目される。だが、真っ先に取材に来たのはスポーツ報知で、原さんは「名前ありきやろうな」と悟った。

 なお、原さんが在学した高校は布施高校。本家・原辰徳のモノマネでおなじみのタレント・布施辰徳を連想させる組み合わせだが、原さんは友人から「どっちをパクってんの?」とイジられた経験があるそうだ。

 京都学園大を経て、社会人のNOMOベースボールクラブでは時に野茂英雄さんから指導を受けてプロを目指した。原さんによると、野茂さんは原さんの名前を前にしても「表向きは驚いてくれなかった」という。それでも、共通の知人には「ウチのチームに原辰徳がいるよ」と話題にしていたようだ。

浪速の原辰徳(写真提供=原辰徳)

 そして、原さんはここで衝撃の事実を明かした。

「巨人の入団テストを受験したんです。二次試験まで進んで、ブルペンで投球練習をしました。最高の状態でアウトロー、インローにボールを投げ分けて、変化球もキレキレでした。でも、スカウトは球速を重視するので、MAX140キロの僕は『スピードがない』と言われてしまうんです。結局、不合格でした」

“坂本勇人被り”の前に、“原辰徳被り”が起きる可能性があったのだ。原さんは広島のテストも不合格に終わり、「ふんぎりがついた」とプロへの思いにフタをする。現在は野球塾などを運営する株式会社Thinkの立ち上げメンバーとなり、昨年7月から訪問介護の事業を始めている。

「今は大阪市港区の地域に根差して利用者、ヘルパーを募っている段階です。徐々に拡大していきたいと考えています」

 そんな浪速の原さんに「原辰徳で困ったこと」を聞くと、「病院でフルネームを呼ばれるのが嫌でしたね」と笑いつつ、こう続けた。

「野球で結果が出ないと『名前負けしてんぞ』と言われるのはイヤでしたけど、案外イヤなことばかりではなかったですよ。何より名前を覚えてもらいやすいですから。この名前のおかげで取材もしてもらえましたし、愛着はありますよ」

 阪神ファンがひしめく大阪で暮らしながら、原さんは巨人ファンを貫いている。

「“原辰徳割引”が適用」東大の原辰徳の場合

 最後に登場いただくのは、「東大の原辰徳」である。なんと東大工学部に原辰徳という名の准教授が実在するのだ。

 こちらの原さんは1981年に静岡県で生まれ、進学校の韮山高を経て東大に進んでいる。取材を申し込む段階で野球歴は不明で、「同姓同名というだけで取材を申し込んだら激怒されるのでは?」と震えが止まらなかった。だが、原さんは「変わったテーマで面白そうですね」とノリノリで取材に応じてくれた。

 原さんもまた、やはり巨人ファンの父親が名づけ親だという。原さんは爽やかに笑って、「よくその名前でグレませんでしたねって言われます」と語った。

 小学生時にソフトボールのクラブに入っていた原さんは、一時「4番・サード」で起用された。チャンスでフライを打ち上げると、「お前またポップフライかよ」とからかわれた。「チャンスに弱い」とレッテルを貼られた本家に続き、原さんも人知れず苦しんでいたのだ。なお、原さんに「原辰徳で困ったこと」を聞くと、「病院で名前を呼ばれる時に……」と話し始めたことも付記しておきたい。

 中学以降はソフトテニス部に入り、名前でイジられる機会は減った。その一方、中学のクラスメイトに「中山美穂」がおり、周囲は「有名人だらけのクラス」とざわついたそうだ。

 現在は東大でサービス工学を専門に研究し、教壇に立っている。学生を前に「原辰徳です」と自己紹介するのは、つかみとして最適だった。だが、原さんは年々、学生からの反応が薄くなったと感じるという。

「今はピンとこない学生が多くて、説明しないとわかってもらえないんです」

 もはや天下の原辰徳といえど、日本中の誰もが知る存在ではないのだ。

 そんな原さんは、「原辰徳でよかったこと」として、こんなエピソードを語ってくれた。

「私は東京ドームホテルで結婚式を挙げたんですけど、妻が『夫の名前が原辰徳というのですが、割引はきかないですよね?』と冗談半分で聞いたんです。すると、担当の方が上司にかけ合ってくれて、本当に割引してもらえて。明細にも『原辰徳割引』と書いてありました」

 教え子の家族に本家と関係のある人物がおり、「原辰徳君江」と原辰徳がしたためたサイン入りユニホームをプレゼントされたこともある。

東大の原辰徳(写真提供=原辰徳)

 東大の原さんは、自分の名前がイヤだと感じたことはないという。

「おそらく『原辰徳』だからでしょう。選手、監督としてご活躍されているだけでなく、世間的にイメージがいい原辰徳さんがいてくれたからこそ、僕は自分の名前を受け入れられたんでしょうね」

 原さんは「いつか『原辰徳』と検索した時に自分の名前が上に来るようにしたい」と密かな野望を抱き、研究に勤しんでいる。

 原辰徳の人生模様は三者三様だった。だが、彼らはみな「原辰徳」という名前を愛し、巨人ファンという共通点でつながっていた。

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