はじめまして。昨季まで広島東洋カープでプレーしていた安部友裕です。現在は指導者として活動しています。

“指導”という言葉だと、なんだか上から目線みたいに聞こえてしまいますが、まずは子どもたちが野球を楽しめるような環境を作っていきたいと思っています。

 僕自身が本当はサッカーをやりたかった中で野球を始めたということもあり、常にやらされているような感じで上達も遅かったんです。野球にもっと情熱を捧げられていたら、没頭できていたら良かったのに……という思いがずっとありました。もちろん悔しさから学ぶこともあると思いますが、根本的には楽しむことが重要なはずです。まだイベント形式でしか教室を開催できていませんが、これから多くの機会を作っていきたいです。

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 そして、野球をやってきた中で自分なりに学んだことを発信したいという思いもあります。ありがたいことに解説のお仕事もやらせていただいています。カープ以外の試合も勉強で見ているんですが、中でも気になるのはジャイアンツ。なぜなら、僕がこれまでで一番影響を受けた長野久義さんがいるからです。

 ということで、今回は長野さんについて書かせていただきます。

筆者・安部友裕 ©文藝春秋

人柄を知れば知るほど大好きに

 ジャイアンツ時代の長野さんは、挨拶程度でしか言葉を交わしたことがなく、プレーヤーとして見て“かっこいい選手”という印象でした。

 その長野さんがカープに来るとなったときは、かなりびっくりしましたし、カープのユニホームを着ている姿を見て、この状況は凄いな……と思っていました。そして、人柄を知れば知るほど、どんどんかっこよさが増していきました。

 長野さんと言ったら、気配り、目配り、心配り。周りの全てを気にかけていて、些細なことでも「大丈夫?」とすぐに気がつくんです。そんなところまで見えているんだ……と何度も驚かされました。

 いろいろと話させていただくようになったのは、ここ2年くらいです。長野さんがカープに来た当時は、コロナ禍だったというのもあって、なかなか一緒に食事をする機会がありませんでした。その後、4人までの会食が大丈夫というルールになって、そこで初めて食事に誘っていただき、段々と交流を深めていきました。

 昨年の9月末くらいでしょうか。一軍での試合出場がないままシーズンを終えようとしていたとき、「野球を辞めようかなって考えています」と長野さんに打ち明けたんです。

「まだまだできるから、絶対に続けた方がいい」。長野さんはそう言ってくれました。その言葉を聞いて、感極まって泣いてしまいました。人前で涙を流したのは、大人になってから初めてのこと。すると、長野さんも一緒になって涙を流してくれたんです。本当に素敵な先輩ですよね。あの言葉がなかったら野球を続けようという気になっていなかったと思います。

 その後も気にかけていただき、戦力外通告を受けた10月22日の夜にも長野さんから電話がありました。「友裕何してるの? ちょっとご飯行こうよ」と。

 それだけでなく、11月のトライアウトには、わざわざ仙台まで足を運んでくださいました。普通では考えられないですよね。終わったあとには労いのメールもいただき、本当に感謝しかありません。

 結果的にNPBからのオファーがなく、現役引退を決めたんですが、そのことを伝えたときには「もったいないよ」という言葉をかけていただきました。長野さんにそうやって言ってもらえて、僕は本当に幸せだなと思いました。