ここにたどり着くべくして、たどり着いたのだと改めて思う。

“開幕投手”はチームの顔であり、1年間チームを引っ張ることを託される投手だろう。昨年は今季からメジャーリーグに活躍の舞台を移した千賀滉大投手が“エース”としてその大役を務めた。

 その“エース”が抜けたチームで、誰がその場所を担うのか――。

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 昨季、最後の最後で優勝を逃してしまったチームで、今年に掛ける思いがより強いチームで、“エース”として引っ張る投手は誰なのか――。

 春季キャンプから注目が集まっていたホークスの開幕投手。その大役を初めて任されたのは、大関友久投手だった。もちろん、開幕投手経験者の東浜巨投手や石川柊太投手はじめ、候補となる好投手は他にもいた。そんな中での大抜擢だった。

 その開幕戦で大関投手は、6回途中まで完全投球。7回2安打無失点と好投し、チームに開幕戦白星をもたらした。

大関友久 ©時事通信社

順調すぎるほどのスピード復帰

 大関投手は2019年育成ドラフト2位で仙台大学から入団したサウスポー。今季が4年目になる。2年目の5月末に支配下登録を勝ち取った大関投手はその年、1軍で中継ぎとして12試合に登板した。3年目は先発として開幕ローテーション入りを果たすと、プロ初先発の試合で初勝利を挙げた。その後はプロ初完投初完封、無四球完封などの熱投でチームを牽引。最後までマウンドに立ち続ける貫禄はエースの風格さえ漂っているように感じた。

 近年のホークスは、先発完投の数は決して多いとは言えなかった。だから、より一層その姿はたくましく映った。勝利投手の権利を持ちながら勝ち星がつかないという試合が続くこともあったが、それでも前半戦のうちにチームトップタイの6勝を挙げた。オールスターにも監督推薦で初選出され、第1戦の先発投手という栄えある役目も務めた。ここまでを振り返ると、プロ野球選手として輝かしい順風満帆な歩みだろう。育成入団であることも踏まえると、本当にすごい駆け上がりだった。

 ところが、激震が走ったのは昨年8月3日だった。「大関友久投手に左精巣がんの疑いがあり、2日に福岡市内の病院で、左睾丸の高位精巣摘除術を受けた」と球団から発表があった。

 その突然の衝撃的なリリースに私も頭が真っ白になった。

 詳細が分からない中で、「がん」というワードにはかなり神経質になり、不安な気持ちが押し寄せてきた。結果的には、摘出された腫瘍以外にがん細胞は入っていないことが確認され、ひとまず安堵した。

 ただ、プロアスリートがシーズン中にこのような形で離脱を余儀なくされたら、体調を戻すこと、身体を戻すことなど決して簡単なことではない。しかし、大関投手は“今の場所”にたどり着くべくしてたどり着いた逸材だ。想像するだけでも苦労は計り知れないのに、大関投手は「作戦通り」と言わんばかりに順調すぎるほどのスピード復帰を果たした。

 1週間の入院期間中には、復帰計画をいくつか練った。退院後の自宅療養中は、軽めにジョギングをしたり、部屋の中で出来るトレーニングを行ったり、復帰へ向けての地盤づくり。その成果もあって、大きく筋量などを落とすことなく、筑後のリハビリ組に合流できたのだ。そこからはあれよあれよと運動量を上げて、なんと手術から約1ヶ月でマウンドに帰ってきたのだ。これにはみんな驚いた。そして、「狙えるなら狙いたい」と意欲的に取り組み、あっという間に1軍のマウンドへと帰ってきたのだ。

 こんなことが叶うのは、大関投手が野球への強すぎる思いを持っているからに他ならない。『底知れぬ野球に対するエネルギー』が、心身ともに早期復帰を可能にした。自身を突き動かし、周囲を認めさせる物凄いエネルギーを放っている。

復帰した際に笑顔を見せた大関投手 ©上杉あずさ

 そんな『底知れぬ野球に対するエネルギー』は入団時からずば抜けていた。若田部健一3軍投手コーチは、「彼は自分がやりたいことが明確だった」「そのために時間を惜しまず練習していた」と育成時代の大関投手のことを振り返る。3軍から1軍の舞台へと駆け上がるためには、自分で自分を理解し、やるべきことを考えて行動できる力が必要不可欠。成長するために大関投手はとにかく貪欲だったのだ。

 長年スタッフとしてチームを支えている金岡信男さんも言う。大関投手らが入団した時、若鷹寮の寮長を務めていた金岡さんは「支配下に上がるような、活躍するような子はどこか変わっている。一匹狼みたいなところがあって、群れずにガツガツしている。大関なんかまさにそうだったよ」と頷く。充実したファーム施設を存分に使いこなし、大関投手は黙々と這い上がった。怪我による離脱がないのも、日々自分と野球と向き合えている証だろう。