劇的な大勝利で世界一奪還を果たした侍ジャパン。WBCの興奮冷めやらぬ中、ついに4月1日から日本ではプロ野球、アメリカではメジャーリーグも開幕した。開幕早々、村上宗隆の今季初ホームランをはじめ、侍ジャパンメンバーから目が離せない。
そこで、「これを読めばさらに彼らの活躍が楽しめる!」WBC出場メンバーのルーツを独自取材した「週刊文春」掲載の短期連載を特別に無料公開する(初出:週刊文春 2023年2月16日号 肩書きは公開時のまま)。
◆◆◆
選ばれし侍の原点に独自取材で迫る本連載。沖縄が誇る長距離砲の飛躍の裏には、学生時代の3人の恩師の姿があった。
「10歳で野球を始めて以来、日本代表には憧れをもっていました。夢の舞台で活躍できるよう、そして世界一になれるよう頑張ります」
埼玉西武ライオンズの山川穂高は、初選出の喜びをこう口にした。
1月26日、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に出場する侍ジャパンのメンバーが発表された。今回、沖縄県出身の選手が3名選ばれたが、同県からWBC代表が誕生するのは史上初となる。
「ご飯のおひつ5つと唐揚げ30個を平らげて驚きましたよ」
その1人、沖縄県那覇市に生まれた山川が野球と出会ったのは、小学校4年生の時。地元の少年野球チームに所属し、白球を追う日々が始まった。才能が開花したのは、中学2年生の夏。所属していた野球チーム「SOLA 沖縄」の監督・大久保勝也氏(現・東北楽天ゴールデンイーグルススカウト)が振り返る。
「出会ったのは穂高が中学1年生の時。体格は平均くらいで、よく笑う普通の子という印象でした。1年後、体を大きくするための“食トレ”をチーム全体で始めたんです。すると、素直な穂高は誰よりもよく食べ、みるみる体が大きくなった。遠征先の宿でご飯のおひつ5つと唐揚げ30個を平らげて驚きましたよ」
“食トレ”が功を奏し、体重は90キロに到達。いつしか打球に飛距離が出るようになっていた。
「体ができてからは、ティーバッティングを人の3倍やらせました。ホームランバッターになれると思ったので、振り切る力を付けさせたかった。『小さく打つな。ホームランを狙え』と言い続け、練習試合では冗談でホームランのサインを出したこともあります(笑)」(同前)
長距離砲の才能が芽生え始めた山川は勢いそのまま、県強豪の中部商業高校に進学。だが、ここで思わぬ挫折を味わうことになる。