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「最期に過ごすならやっぱり日本かな…」坂本龍一がこぼしていた“日本愛” 移住先の候補地が「生まれ育った東京ではない場所」だった理由とは

「最期に過ごすならやっぱり日本かな…」坂本龍一がこぼしていた“日本愛” 移住先の候補地が「生まれ育った東京ではない場所」だった理由とは

「坂本さんが『最期に過ごすならやっぱり日本かな』と話していたのは2010年頃でした。2009年に演奏会を開いた高知県がとても気に入ったようで、『自然に囲まれた場所がいいし、高知とかいいね』と。坂本龍馬と1文字違いですね、なんていう冗談を言っていたのですが……」(20年来の友人のA氏)

 3人組バンド「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」のメンバーで、「世界のサカモト」「教授」と愛された音楽家の坂本龍一さんが3月28日に亡くなった。葬儀は近親者のみで執り行われた。71歳だった。

坂本龍一さん 本人インスタグラムより

 坂本さんは1990年頃からニューヨークに活動の拠点を移していたが、「最期は日本で」という希望を持っていたという。20年来の親交がある友人のA氏は、坂本さんとの出会いをこう振り返る。

「坂本さんと初めてお会いしたのは1999年頃でした。私が働いていた会席料理屋の常連客でした。すでにYMOが大ブレイクして、『戦場のメリークリスマス』や『ラストエンペラー』で賞も取っていましたが本当に気さくな方でした。お店では音楽の話だけでなく環境問題や平和の話を情熱的にされていて、そこからプライベートな価値観についての話になったりしてすぐに打ち解けました」

ダウンタウン松本人志との「大人の距離感」

 すでにニューヨークに拠点を移していた坂本さんだが、ブリーフ姿で登場した「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ系)の仕事やコンサートなどで頻繁に帰国していたという。そのたびにAさんの店を訪れ、親交も続いた。2009年にAさんが結婚する時には、坂本さんが婚姻届の証人に名乗り出てくれたのだという。

「ダウンタウンさんとはとても仲が良さそうに見えました。『GEISHA GIRLS』がアメリカデビューした時のことも楽しそうに話していた記憶があります。坂本さんが紹介してくれたのか松本人志さんもお店へ来てくれるようになりましたね。たまにお店で一緒になることもあったのですが、会釈するくらいでその『大人の距離感』がかっこいいなと思ったものです」(前出・Aさん)

ダウンタウンの2人に挟まれた坂本龍一さん 「クラビッツ」1995年6月号より

 しかし2014年、初めてのがんを患っていることが判明する。中咽頭がんと診断され、生活拠点であるニューヨークの病院で治療に専念することを決めたが当時の坂本さんは治療を受けるか悩んでいたという。Aさんが続ける。

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