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ダルビッシュと出会って約1年後に離婚を発表
悲劇だったのは同じ階級に吉田沙保里がいたことだ。
「五輪は山本家の悲願でしたが美憂の頃、女子レスリングは五輪種目ではなかった。04年アテネ五輪でようやく採用されましたがまだ階級の数が少なく、聖子はベストよりも軽い55キロでやらざるを得ず、惜しくも選考会で吉田に敗れました」(同前)
聖子が競技人生に区切りを付けたのは06年。同年、ハンドボール日本代表の永島英明氏と結婚し、翌年第一子を出産。引退から2年半後の現役復帰を経て、米国女子代表チームのコーチに就任したのは、13年6月。夫と離れ、米国で暮らすという決断が運命の出会いをもたらした。ダルビッシュと出会って約1年後に離婚を発表すると、15年に未婚のまま男児を出産し、翌年に入籍。現在、2人は聖子の連れ子を含め、5人の子供を育てている。
ダルビッシュが聖子に腕枕をして寝ていると突然嗚咽が…
夫婦の軌跡は決して平坦ではなかった。不振に喘いでいた19年春、ダルビッシュが寝室で聖子に腕枕をして寝ていると突然嗚咽が。
「私と一緒になってからパパの力が出せていないんじゃないかな。私が足を引っ張っている……」
慟哭に「野球をやっているのは俺だけじゃない」との想いが芽生えたと後にダルビッシュは明かしている。
「聖子さんはアスリート・ファーストを徹底。普段は消化効果のある生姜を多用し、鶏ももの生姜焼きなどタンパク質を重視した食事を心掛けている。登板日の朝は夫の寝室から子供たちを遠ざけるなど配慮が行き届いています」(球団関係者)
そんな“内助の功”に前出の高木氏も「ダルの“選球眼”が凄かったということ」と舌を巻くのだった。