WBCで盗塁成功を確信させた「ふたつの記憶」
これが最大限に発揮されたのが、2013年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での「神盗塁」である。
自分で「神盗塁」と表現するのは口幅ったいけれど、いまでも多くの人に「あの場面は本当に神盗塁でした」といわれることが多いので、ここでもあえて「神盗塁」といわせていただきたい。
第2ラウンドのチャイニーズ・タイペイ戦でのことだった。1点ビハインドの9回表一死、わたしはフォアボールで出塁した。続くバッター・長野久義選手が初球で倒れて二死となった。ここで打席に入ったのは井端弘和さんだった。
この場面で、わたしは初球に盗塁を決めた。もしもアウトになればそこで試合終了となる。一か八かの賭けに出た――。多くの人はそう考えたことだろう。しかし、わたしには確信があった。
(間違いなく盗塁は成功する。二塁に行けば井端さんのワンヒットでホームイン。同点に追いつける可能性は一気に高まる……)
そのイメージどおり、盗塁は成功した。そして、井端さんは見事にタイムリーヒットを放ち、わたしはセカンドからホームイン。侍ジャパンは同点に追いつき、結果的に延長10回でわたしたちは見事に勝利を収めることができた。
さてこの場面だが、先ほど述べたように「間違いなく盗塁は成功する」とわたしは思っていた。このとき、わたしの頭のなかには事前のミーティングで聞いていた「ふたつの記憶」がよみがえっていた。
・抑えの陳鴻文はクイックが遅い。
・牽制球は1打席に一度だけ。
長野選手に投じた初球のクイックタイムはやはり遅かった。だからこそ、わたしは牽制球が投じられるのを待っていた。すると、その牽制球がきた。条件は整った。これで牽制はない。落ち着いてスタートを切れば確実に盗塁は成功する。
そんな思いとともに二塁ベースに向かってスタートを切った。
この日ばかりは興奮して寝つけなかった。この場面も、「思い出した」のではない。やはり「降りてきた」としかいいようがない。大切なこと、重要なことは、「あれも、これも」ではなく、きちんと自分の頭のなかでイメージしたうえで、「あれか、これか」に絞ることなのではないだろうか。