文春オンライン

「間違いなく盗塁は成功する」鉄人・鳥谷敬が2013WBC台湾戦で「神盗塁」を成功させた“2つの理由”

『他人の期待には応えなくていい』より #2

2023/04/18
note

 実績を残していない選手ばかりが前に集まって必死にメモを取っている。一方で、すでにチームの中心として何年も活躍している選手は部屋の後方に座って話を聞いているだけだった。わたし自身はルーキーではあったけれど、メモを取ることをやめることにした。

 そして、その効果はてきめんだった。試合中のふとした瞬間に「そういえば、ミーティングではこういう指示が出ていたな」とか、「こういう場面では初球にストレートを投げることはほぼなかったはずだ」などと、ミーティングで話された内容が降りてくるのだ。そう、それは「思い出す」というよりは、「降りてくる」という感覚だった。

鳥谷敬氏 ©文藝春秋

情報に自分の感情を入れたことでデータが降りてくるようになった

「記憶力」というよりは「感受性」といったほうがいいのだろうか?

ADVERTISEMENT

 ミーティングで話されたことを「記憶」したり、「暗記」したりしたつもりはない。その代わり、自分の頭できちんとイメージを浮かべながら、真剣にシミュレーションをした。もちろん、記憶力も大切だとは思うが、重要なのはその場面ごとにきちんと自分の「思い」を込めることだと気がついた。「思い」が入っていたら、似たようなシチュエーションになったときに「あっ、そういえば」と記憶が鮮明によみがえるのだ。それは単純な「記憶力」とは、やはり違うものだと思う。

 メモを取っているときにはホワイトボードの文字がよみがえることなどほとんどなかった。しかし、メモを取ることをやめ、自分の感情を入れたことでクリアな映像として脳裏によみがえることは何度もあった。

 ペンを走らせなくても、きちんとミーティングの内容を思い出すことができるのならば、間違いなくわたしにとっては正しいやり方なのだ。そう確信した。

 メモを取っていたときは、学生時代の授業と同じで「先生のいうことをきちんとノートに取らなくては……」という思いだったけれど、実はただ手を動かしているだけで、「やった気」になっていただけなのだ。

 それよりも、「思い」を込めて、具体的なイメージを頭に思い浮かべていれば、必要なときに必要な情報、データは降りてくるのだと気づいた。