5個の白いビニール袋を開けると…
現場上空には報道のヘリが一機、二機と舞い始めている。耳をふさぎたくなるような轟音が空から降り注ぐ。
諸磯湾の対岸には、人が動いている様子も窺えた。不審な動きのボートや小型漁船も洞窟近くに集まってきた。船上でカメラを構えている。
こうなると、どうすることもできない。海上に規制線を張りめぐらすわけにはいかないのだ。
海岸通りからマリーナに入った辺りには黄色いテープが引かれ、部外者の出入りを遮断した。
洞窟周辺は現状保存のために封鎖され、これまで捜索に当たってきた捜査員までもが遠ざけられた。
青いビニールシートに覆われた洞窟の中には、臭気が充満していた。
鑑識課員が掘った穴の深さは1メートル余で底は岩盤だった。穴の深さを保って、洞窟の奥まで掘削していく。
遺体に近づいては写真を撮る。野添警部補が掘った場所の3メートルほど先をさらに深く掘ると、5個の白いビニール袋が重なるように出てきた。
セメントに覆われた頭部、ビニール袋に入れられた胴体、その上に肩から指先までの両腕。胴体から切り離された左右の大腿部と膝から下の足。すべてを計測し、証拠写真を撮った後、遺体を丁寧にビニールシートに包んで運び出した。
野添が最初に発見した袋を洞窟の入り口付近に置き、確認のため袋を開けると、膝のところで切断された足が2本出てきた。同時に強烈な腐敗臭が立ち昇る。
トビの数はゆうに30羽を超えていた。
白い肌はすでに死蠟化していた
白い肌はすでに死蠟化していたが、それでもところどころに肌の色が残り、産毛のような脛毛も残っていた。足の爪には赤色のペディキュアが塗られていた。
損壊された遺体は、ビニール袋に入れられたままボディーバッグに移し、さらにその上からブルーシートをかけた。報道陣の目を避けるため、わざわざ崖の踏み分け道を200メートル近くも上って、「D荘」の駐車場へと運ぶ。幌つきのトラックがそこで待っていた。
検証許可状を携えて現場にやって来た有働理事官は、先に到着していた神奈川県警の捜査一課長に挨拶してから阿部管理官に労いの言葉をかけ、捜索状況の説明を受けた。
死体発見現場の近くには、早乗りした通信社や新聞各社、そしてテレビ局各社の報道中継車も到着し、テレビカメラを据えている。マスコミの記者らは時間を追うごとにその数を増やしていった。
報道陣や野次馬でごった返すようになっていた狭い県道は、三崎署の交通整理で騒がしさも和らぎ始め、有働は砂浜で休む一人ひとりの捜査員に「ご苦労様でした。よく頑張った」と声をかけて回った。
捜索に当たった全員の執念が通じたのだ。最後の1人は岩陰に座って俯いている。